2016年6月3日

1080 最後の定期運行

羽鶴 1080
▲日鉄鉱業羽鶴機関区 1974-8

日鉄鉱業・羽鶴の1080を初めて知ったのは、意外にも夕刊のコラム欄で偶然目にしたときでした。
蒸気ファンの間では既に有名な存在でしたが、情報源に乏しい子どもの身では、こんな古典機が近くにいるなど知る由もなかった訳です。
件の夕刊記事には次回の運転日まで載っていたので、同級生と出掛けることにしました。

生憎の雨模様の中、羽鶴に着くと既に火が入った1080が構内を行ったり来たりと、慣らし運転をしていました。
▲いずれも羽鶴機関区 1974-8

露出が上がらない中、逆機の往路を捕えます。前ピンですが・・・
▲上白石-常盤 1974-8

カマが前向きになる復路はこれまた凄いピンボケになってしまい、ネガを見て愕然。
ピントをリアルに確認できないレンジファインダー機の宿命(+未熟な腕)故です。

さて1974年10月、再び公開運転が行われました。
自宅から自転車をすっ飛ばし、まずはヤマから葛生へ下ってくる列車を捕まえます。
甲高い汽笛と共にやってきました。
続いて真横からも1枚。背後に邪魔物が写り込んでますが、うまい按配にロッドが真下にきました。
羽鶴 1080


▲いずれも上白石-常盤  1974-10 
  
 メインの復路でしたが、前回のリベンジ・・・!と欲張り過ぎました。
ウロチョロ場所探しをしているうちにやってきてしまい、こんな半端な写真に。
これが後々の禍根を残すことになります。 
慌てて振り向いて1枚。これが1080のラストショットになりました。
▲いずれも上白石-常盤(?) 1974-10
 
実はこれが最後の公開運転日となりました。
 
翌春の「鉄道ファン」誌コラム欄に、当時の羽鶴機関区長が寄稿されています。
曰く、「名乗りもせず、一方的に運転日を教えろと電話してくる無礼者が多く・・・・」「沿線の田畑が踏み荒らされる被害が続出し・・・」といった理由で「当分の間運行を停止」という内容。
何とも暗然とした気持ちになったのを憶えています。

その後も非公開で細々と運転されたようですが、当時は情報を仕入れる術もなく、再訪の機会のないまま1979年6月(諸説あり)の運行を最後に、正式に廃止されました。
▲羽鶴機関区 1974-8

4 件のコメント:

  1. リクエストをかなえていただき、ありがとうございます。
    私が羽鶴専用線を知ったのは、本島三良さんの本を見てからで、
    その時はすでに廃止後でした。
    モノクロの写真は見たことありますが、カラーは良いですね。
    色調から考えると、ネガでしょうか。。。
    貴重な写真ありがとうございました。

                      maru-ha

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  2. maru-haどの

    私も地元にいながら新聞で知るというオソマツさでした。
    東武も含め、当時のカラーは全てネガから起こしたものですが、思い切り経年劣化したフィルムとの闘いです(現在進行形)・・・・

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  3. 懐かしいですね、羽鶴!
    私は予備機になって機関庫で寝ている姿しか見てませんでした。
    元気な走行風景、眼福です。

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  4. chitetsuさん

    私も地元にいながら、ここにアップしたものでほぼ全てです^^;
    正面をマトモに撮れなかったのは未だに悔いが残っています。

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