2016年8月29日

ジーメンスを追った日々

上信デキ
▲上信電鉄デキ2 高崎 1988-12

小学生時代からの馴染み深い上信線ですが、まともに乗って終点を極めたのは初見参から15年も経ってからでした。理由は簡単、車庫が高崎にあってここで全てのデンシャが見られたからです。
お蔭でジーメンス機・デキ1形の重連貨物も撮らずじまいでした。

1988年暮れ、「一度くらいデキの走りを見て、終点まで乗って・・・」と気軽に行ってみました。既に電車たちは世代交代が終わり、1000系・6000系・250系らが主役でした。

まずは南蛇井(なんじゃい)で下車。神農原方のネギ畑で待ち構えていると、重いモーター音を響かせてデキがやってきました。
デキ
▲いずれも神農原-南蛇井 1988-12
 
「南蛇井」は珍妙な駅名が話題になり、常備の入場券がありました。
現在も委託駅ながら無人化されず、駅舎も健在。
ここから「カカア天下」のおばちゃんたちと一緒に下仁田に向かいます。
上信
上信電鉄▲いずれも南蛇井 1988-12
 
下仁田に待機中のデハ200形2態。右端に見えるのがさっきの貨物列車です。
デハ200

しばらくするとデキ1が構内を行ったり来たり、入換作業を始めました。
上信 デキ
デキ
デキ
▲いずれも下仁田 1988-12

復路は千平からちょっと山登りして待ち構えます。紅葉が散り行く間際でした。
ここで200系や250系も押えます。

全体的に田畑ばかりの平坦区間が多い上信線ですが、ここ千平-下仁田間だけは季節感が満喫できる山里の風情でした。雑誌などで知ってはいましたが、実際に立ってみて初めて魅力が分かった気がします。
上信,デキ
千平
上信
▲いずれも千平-下仁田 1988-12

千平駅近くの古い民家。ホオズキが夕陽に輝いていました。
上信▲千平付近 1988-12

途中、吉井で30分停車するため後発電車で追い抜きます。
デキ▲山名-吉井 1988-12

この頃、デキの出動はトキの石灰列車1往復だけでしたが、今回のお気楽訪問をキッカケに千平付近の魅力に触れ、その後幾度となく通う破目になりました。
デキ
▲デキ1 高崎 1988-12

8 件のコメント:

  1. 訪れになられた10年後、当方も仕事で上信線各駅回ったものです。
    神農原駅だったでしょうか、独特の駅舎があったのは。おられた委託駅員さんも老齢ながらお元気でした。
    ところで、終端付近に廃隧道ありますが探検なされた方がおられますのでご紹介します。
    http://yamaiga.com/rail/kouzuke/main.html

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  2. 12号線さん

    上信線は近年までほとんどの駅に委託駅員がおり駅舎もありましたが、現在は無人化が進んでしまいましたね。私も通っているうちにほぼ全駅で乗り降りする結果になりましたが、神農原は残念ながら訪問する前に無人化されてしまいました。

    上野鉄道時代の廃隧道についてのご指摘、ありがとうございます。
    千平-下仁田は何度も歩いたので外から見たことはありますが、隧道の中は初めて見ました。

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  3. 日帰り圏内にありながら、貨物営業晩年は平日のみ週2回程度だったっけ?で微妙にハードルが高く行けず仕舞いだった上州のシーメンス、数年前の旧客牽引の時は行きましたが、電車牽引ではあまりそそられません。たまには凸+テム+ホキで走らせてほしいな…あ、貸切れば良いのか、10人位集めれば一人数万円オーダーで実現できるな、と半ばマジに考えてしまいます。

    あと、この頃だと旧世代の電車では、デハ22が辛うじて生き残っていませんでしたか?

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  4. 雪うさぎさん

    この当時は月・水・金にそれぞれ1往復の運行でした。94年秋に廃止になるまで、取れた休みは全てこのために使った気がします。ウヤのときもあり、事前に必ず本社に確認してから出掛けましたがすぐに教えてくれました。

    最近の電車牽引のイベント変なマーク付けていますし、ちょっと引いてしまいますね。
    テム+ホキの貸切が企画されたらすぐさま飛びついてしまうでしょう(笑)。
    それから、帰りに高崎で撮ったフィルムを見返してみましたら、デハ22・23が写っていました。デハ22は両運車だったので構内入換用として91年頃までいました。

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  5. そもそも今は貨物の貸切は受けてくれるのかな?と思いましたが、探したら昨年にデキ+テムで走らせた団体があるので、まだOKの様です。昔のカラーブックスで見た、デキ+テム+テムの写真が印象に残っているので、テムはもう1輌あると良いのですが。

    デハ22は晩年まで閑散期には時々本線を走っていました。今残っていたなら、例え朝1往復の限定運用であろうと、何とか都合を付けて行くでしょうが、90年代初頭だと他にも色々あったので…

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  6. 雪うさぎさん

    テムは2両いるみたいです。テム+ホキ編成でも良いですね。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84%E3%83%86%E3%83%A0100%E5%BD%A2%E8%B2%A8%E8%BB%8A

    最後まで残ったデハ22は富岡・吉井までの区間運転に入っているのを見かけたことがありますが、私も走行は撮れませんでした。無骨な初期の鋼体化車、デハ11や20ならともかく、ノーシルノーヘッダの車体ではこの当時だと余り関心が向きませんでした。

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  7. 残念ながら使えるのはテム6の方だけで、テム1は車籍こそ残っているものの、検査切れで放置状態です。6の方も事実上イベント運転用に残しているようなものなので(一応救援車代用なのかな?)、津軽タム501同様、それだけでも感謝しなくてはなりませんが…

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  8. 雪うさぎさん

    それは残念です。そうするとテム+ホキが往年らしい編成になりますね。実際にこれでフォトラン運行をした実績があるみたいです。
    あと現役の頃のトキやトラが1両でもあればもっと良いのですが・・・

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