2016年8月9日

「くりでん」電車時代 

栗原電鉄
▲栗原電鉄ED201 細倉 1987-2

社会人生活が落ち着き始めた頃、学生時代の鉄研仲間で出掛けようという話が持ち上がりました。場所は宮城県栗原市の温湯(ぬるゆ)温泉。
・・・・と言えば「くりでん」、ここに寄らない手はありません。

当時の記念写真が残っておらず、温泉も宿も、はたまた同行のメンバーが何人であったかすら良く覚えていないのですが、「くりでん」だけはしっかり記録しています。
ローカル私鉄らしい佇まいの石越から、早速乗り込みます。
栗原電鉄▲M151 石越 1987-2

まずは車庫のある若柳で下車。交換駅の沢辺と同じ意匠で、開業時からの駅舎が現役でした。
軽便時代の低いホームがそのまま残っていますが、これを通過して隣に新設された高いホームからデンシャに乗ります。
若柳駅
若柳駅
若柳駅
▲いずれも若柳 1987-2

西武から1977年に購入した旧17m国電・M17形は休車になり、切り離されて留置中でした。
木造の車庫内にはガニ股電機・ED203が鎮座していました。
ED20
▲いずれも若柳 1987-2
 
ここから一気に終点細倉へ向かいます。
亜鉛や鉛で賑わった細倉鉱山が間もなく閉山になろうとしている頃で、ED20形が最後の活躍をしていました。
ED20
細倉駅▲いずれも細倉 1987-2
 
細倉駅も開業当時の駅舎が残り、ホームも軽便時代と現代との2段になっていました。閉山後の1990年に廃止され200m先に移転、「細倉マインパーク駅」として再スタートを切ります。
細倉駅
細倉駅
細倉
▲いずれも細倉 1987-2

細倉からほど近い小山を上りました。雑誌にもよく登場する俯瞰ポイントです。
眼下には駅を始め、貨物線、鉱山住宅やズリ山などがよく見えました。
細倉駅
▲細倉駅を望む 1987-2

振り返るとこんな感じです。Sカーブをコトコトと走る姿が一望できました。
栗原
細倉▲いずれも駒場-細倉 1987-2

その後は宿に向かい温湯温泉を堪能(・・・・したと思うのですが)。
何となく湯治場のような趣きだったと記憶しています。

鉱山終焉の後、細倉マインパークを観光のテコに再起を図った栗原電鉄でしたが、止まらぬ旅客減と欠損補助の打ち切りでついに廃止、3セク「くりはら田園鉄道」へ引き継がれていきます。
栗原
▲細倉 1987-2

8 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2016年8月10日 19:16

     鉱山廃止後に乗りました。たまたま小学生の団体でほぼ満員でしたが、
    それがいなければ私を含めて数人です。
     マインパークまで歩きました。かなり安直な造りだったし、電車で
    来ていたのは私だけでした。

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  2. モハメイドペーパーさん

    私も鉱山廃止後の94年夏にマインパークまで乗ったことがあります。
    1面1線の寂しい駅で、ここまで乗ってきたのはやはり数人、駅隣に保存されていたED20も痛々しい感じがしました。
    マインパークそのものは行ったことがないのですが、小さいながら今もなお営業しているみたいですね。

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  3. 懐かしいですね〜。
    細倉からはバス路線を2本乗り継いで温湯温泉に行った記憶があります。
    鉄道以外の記録をしていないのは今となっては残念ですね。

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  4. chitetsuさん

    ほんと、超懐かしいですね。
    細倉から先が記憶から飛んでおり、どうやって温泉まで辿り着いたのかすら思いだせません~^^;
    フィルム時代だと細かいスナップが残っていないのが残念です。
    chitesuさんはバスの記録をシッカリ撮ってますね~


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  5.  この年のお盆休みに、新調したカメラを手に勇躍訪問したのを思い出しました。細倉のSカーブ俯瞰、私もここで撮りました。懐かしいです。
     電車も結構かっこいいし、直線軌道を軽快に飛ばすしですっかり気に入ってしまいました。
     乗車した時にびっくりしたのが、駅に張るような花火大会の大きなポスターが、枕木方向の中吊り広告として下がっており、まるでカーテンのようでした。これを見て、お盆休みとはいえ、もはやこの鉄道にはラッシュがないのかなぁと一抹の寂しさをおぼえました。

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  6. HKRさん

    細倉のSカーブは数少ない俯瞰ポイントでしたが、絵になる場所でしたね。細倉の鉱山町も一望できて一石二鳥でした。この時は下に見える踏切付近からも撮り、しつこいくらい粘っています。

    M15形はローカル私鉄には勿体ないくらいの性能でしたが、一面の田園風景を飛ばすのは気持ちよかったです。しかしやはり乗客は少なく、大きい中吊りも邪魔にならなかったのでしょうね。

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  7. 電車時代の栗鉄、結局行きそびれた場所の一つです。当時はシルヘッダやリベットがあってこその旧型電車、ツルツルのは新型、と言う認識だったので、後回しになってしまいました。この種の電車の良さに気付いたのは、栗鉄の電車が無くなった数年後、京福福井251との出会いでした…M15も勿論良いですけど、M181のMT-4+DT10での75㎞/h走行も味わってみたかったです。

    駅舎とかは内燃化後もそのままだったのに、それすらもちゃんと撮っていないのも惜しまれます。この時代だと、若柳の駅前まで岩手県交通のバスが越境して来ていたんですね。某人気シリーズ番組を見るまでも無く、高速路線バス以外の県境を越える路線自体が非常に少なくなってしまいましたね。昔は地鉄の電鉄桜井まで頸城自動車のバスが来ていたなんて今では信じられない様です。

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  8. 雪うさぎさん

    栗電は沿線風景(田園や鉱山、駅風景)をメインに結局6回も行ってしまいました。
    戦前製と比べると電車は確かに魅力は薄いですが、M15はこの時代らしく正面2枚窓・側面バス窓で今考えると好ましい車ですね。一面の田圃の中を突っ走るのは気持ち良かったですが、末期の巨大なヘッドマークは頂けませんでした。

    バス路線は意識していませんでしたが、若柳駅前停留所は岩手県交通ですね。
    これ以外にも、確か沢辺駅前にも乗り入れていたと記憶しています。

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