2016年12月7日

一畑電鉄 川跡から美談あたり

▲一畑電気鉄道デハ81 大寺-美談 1989-10

長らく昭和初期の自社発注車が主役だった一畑電鉄ですが、1980年代初めから西武451系・551系が転入し始め、急速にナワバリが狭められて行きました。

1989年秋、食堂車のお名残り乗車も兼ねて特急「出雲」を奮発、一路松江へ向かいました。
デハニを繋いだ早朝の3連には間に合いませんが、オリジナル車を期待してまずは秋鹿町で下車。早速やって来たのはデハ23+クハ103、幸先良いスタートでした。
▲いずれも秋鹿町-高ノ宮 1989-10 
 
▲秋鹿町 1989-10

しかし2編成目はなかなか現れず、次は川跡へ。
川跡から隣の大寺、更に美談へと田園が続く区間はいつも歩き回る定番の場所でした。
▲川跡-大寺 1989-10
 
▲大寺-美談 1989-10

大寺には可愛らしい木造駅舎が健在。
小さいながら1978年まで有人駅で、事務室や窓口跡も残っていました。
▲いずれも大寺 1989-10

美談も元有人駅。こちらも当時の駅舎があり、周辺にはこの地の名物、築地松が残っていました。
▲美談 1989-10

川跡は一人勤務のおばちゃん駅長がおり、この日も大音声の名アナウンスが響きます。窓口で入場券を所望すると「こんなのも売ってるけど」と記念テレカも買う破目になりました。
▲いずれも川跡 1989-10 

結局、この日動いていた在来種はデハ23+クハ103の1編成のみ、一巡したので大社線へ転戦です。ここは未だデハ1形の独断場でした。
▲いずれも浜山公園北口-出雲大社前 1989-10
 
▲いずれも出雲大社前 1989-10

最後は川跡から逆方向で締めました。この辺りも宅地化が進んでいます。
▲武志-川跡 1989-10

そろそろ世代交代も終わり・・・とこの時は勝手に感懐に耽ったものですが、その後もデハ20形は1996年、デハ1形は98年と驚くほど命脈を保ちます。
▲浜山公園北口-出雲大社前 1989-10

2 件のコメント:

  1. 一畑ではガセネタに振り回されたmaru-ha2016年12月9日 22:06

    川跡駅のオバチャンの駅名アナウンスは耳に残りますよね。
    「♪カワトォ~~♪、♪カワトォ~~♪」というのが、田んぼの中まで響いてましたね。
    小職は入場券と特補券買いました。今でも特補の筆跡見ると、「♪カワトォ~~♪、♪カワトォ~~♪」というのを思い出します。

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  2. 一畑ではガセネタに振り回されたmaru-haどの

    HN長すぎですよ!!
    はて?ガセネタ・・・何のことでしょうか?
    それはともかく、川跡のおばちゃん駅長はほんとに有名人みたいで、色んな人がこのアナウンスを話題にしてますね。今は駅舎も新築されて切符は入場券のみ、ジイサマ駅長になってしまいました。

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