2016年12月3日

EF12と70系と

▲両毛線クハ76ほか 佐野-富田 1975-10

東武佐野線と同じく、カメラを持ち始めた頃から馴染んでいたのが国鉄両毛線でした。
当時はスカ線からやって来た70系とEF12のまさに天下、時折やってくる快速運用の115・165系の方が珍しい位でした。

基本編成の70系4連。
荷電の併結も多く、朝ラッシュ時には吾妻線用の40系2連を併結した6連もありました。
▲いずれも佐野-富田 1977-1
 
▲いずれも岩舟-佐野 後ろの高架は東武佐野線 1978-1

こちらは当線名物、スカ線で鳴らしたサロ85改造のクハ77。
シートはサロ時代のままですからフカフカ、曲線を多用した手すりも珍しく、165系を避けてこちらに乗ったりしました。増設した中間ドアの部分にはクロスシートを横向きに据え付けるという、不思議な空間がありました。

▲佐野-富田 1975-10
 
▲岩舟-佐野 1978-1 

名脇役のクモユニ74。
当時のフィルムを見返してみると、自分でも驚くくらい撮っていないことに気づきました。「1コマいくら」の時代ゆえ、あちこちで見掛けたデンシャですから敢えて避けていたのでしょうか。
▲佐野 1973-6
 
朝の区間運転に72系が動いていた時期もありました。
▲いずれも高崎 1974-8

さてこちらは貨物の主役、EF12です。
当時は貨物の方が電車よりも多く発着し、最寄駅に遊びに行くと必ず入換作業を見ることができました。1977年春からEF15が転入し始め、急速にテリトリーが侵食されて行きます。
▲高崎 1974-3
 
▲いずれも佐野 1974-5
 
EF12はEF10の改良機として東海道線や上越線で性能を発揮し、「EF57の貨物機版」とも称えられました。EF15の登場で両毛・吾妻両線が主戦場となりますが、廃車まで長らく活躍します。
▲佐野-富田 1975-10
 
▲岩舟-佐野 1974-10 
 
名コンビだった70系とEF12ですが、70系は1978年春、記念行事もなく静かに引退しました。辛うじて1・5号機が残ったEF12は吾妻線用となりますが、こちらも82年に姿を消していきます。
▲佐野 1974-5

8 件のコメント:

  1. 幼少の頃、クハ77と思わしき車輌に乗って温泉宿に向かった記憶ございます。
    不勉強で申し訳ないのですが、高シマの70系は吾妻線や上越線方面の運用あったのでしょうか?

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  2. 12号線さん

    新前橋の70系・40系は両毛線と吾妻線で動いていました。
    吾妻線の方は両毛線からの直通列車があったり高崎発があったりと、結構運用が複雑だったと記憶しています。クハ77の座席はサロそのままでしたので乗り心地が抜群でしたね。私も好んで乗りました。

    吾妻線内での活躍は記録できず、高崎駅で停まっているのをスナップしただけで終わってしまったのが今でも悔やまれます。これらも115系転入で78年春に一挙になくなってしまいましたが、その115系が今や人気の的なんですね。

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  3. 両毛線と言ったら77!!
    正面はダサイけど、今となっては貴重な写真ですね。

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  4. 高崎を22時台に発車する桐生行きは、70系+40系+70系の10連でした。
    高崎駅から夜行急行越前に乗った時に見かけました。
    EF12は70年代前半まで山手貨物線などで見かけました。
    多く見られたEF15より格好良くてEF10の後期形とともに贔屓の機関車でした。

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  5. maru-haどの

    お顔は頂けませんが、乗るなら断然クハ77ですね!!
    ・・・なので写真は余り撮りませんでした。
    当時の国鉄はこの前面がお好きなようで、クハ75や85、更には事業用車にまで採用しましたね。その集大成が103系ATC車でしょうか?

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  6. 三等急電さん

    夜の8連は聞いたことがありますが、10連もあったとは知りませんでした。編成が凄いですが、前後どちらかの70系4連は吾妻線の間合い運用だったのでしょうか。当時の区間運転(特に高崎―桐生間)については73系も含めて未だに不明な点が多いです。

    EF12、新鶴見には8~12号機がいましたね。こちらは記録することが叶わず、未だに悔いが残っています。EF10や13もそうですが、70年代の山手貨物線は魅力的でした。

    話は変わりますが、プロフィール写真(栃尾線最終日)に見入ってしまいました。

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  7. 10連運用の件ですが、鉄道ファン誌1977年11月号掲載運用表によると
    70系 小山1955-484M-2141高崎2223-487M(前)-2308桐生
    40系 大前0857-528M-1102高崎2223-487M(中)-2308桐生
    70系 大前1823-538M-2015高崎2223-487M(後)-2308桐生
    となっています。

    70系とは外観が異なるクハ77は、元祖「ひょうきん電車」でしょうか。
    両毛線電化時に投入された70系は横須賀線最末期の車両で、この時期70系本来のサロ75は既に転出済みで残っていたサロ85が改造対象になりました。
    横須賀線では70系新造終了から113系投入までの5年間、サロの増備は準急列車への153系投入で余剰となったサロ85で賄っていました。
    ちなみに、モハやクハは101系投入で余剰となった73系や40系を京阪神緩行線に転属させて70系を捻出しました。
    茶色とスカ色の混色編成の写真(モノクロですが)が本に掲載されていました。

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  8. 三等急電さん

    詳しい解説、ありがとうございます。
    同じ高シマとは言え、3編成をくっつけてしまうという技は凄いですが国鉄時代ならではでしょうか。ローカル線に旧型10連というのは他に例がないと長大編成だと思いますが、地元にいながら見られなかったのは残念です。高崎―桐生間に10連にするほどの需要があったのかも気になりました。

    カメラを持ち始めの頃、クハ77は何故103系と同じ顔なのか不思議に思ったのを憶えています。サロ75の転出が少しずれていたら誕生しなかった形式かも知れませんね。

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