2017年1月11日

筑波鉄道の終焉

▲筑波鉄道 樺穂 1987-3

関東鉄道は長い間「近くて遠い路線」でした。
分離前の関東鉄道は総延長120キロ超、ローカル私鉄というには大規模過ぎて近寄り難い印象です。車庫の所在が水海道・真鍋・石岡と何れも栃木方面からは行きにくい立地にあったという事情もありました。
▲キハ763 岩瀬 1986-1

そんな訳で訪問はひどく遅れて1981年、分離後の筑波鉄道線が最初でした。既に戦前型の殆どは駆逐されるか改造を受けたりしていました。

筑波鉄道は79年4月、鹿島鉄道と共に関東鉄道から分離独立したものの、やはりというべきか10年と経たずに諸処の合理化も奏功せず経営が逼迫、87年に廃線となります。
▲キハ763 岩瀬 1986-1

廃止が迫った1987年3月、3度目にして最後の訪問になりました。
まずは恒例、真鍋(信)の車庫を覗きます。
庫内には江若鉄道最後の新製車、キハ510形が鎮座していました。



キハ504形は1959年・常総筑波鉄道発注車。
セミクロスシート・空気バネ装備で当時のピカ一でした。


既に休車中でしたが、北陸鉄道能登線からやってきた2両もいました。
こちらは旧国鉄04のキハ460形461。廃止後は民間に引き取られた後、鉄道博物館へお輿入れした幸運な車です。



同時に入線した北陸鉄道発注車、キハ540形。1957年製のバケットカーという珍車です。外形・車内ともかなり荒れており廃車体のようでした。
▲いずれも真鍋 1987-3

泣き出しそうな空模様の中、沿線へ転戦です。真鍋から北上することにしました。
まずは沿線随一の都邑であった常陸北条。廃止間近ながらかなりの乗客が降りてきました。
▲いずれも常陸北条 1987-3
 
紫尾に到着する旧雄別鉄道のキハ811。
▲紫尾 1987-3

旧国鉄キハ30のキハ300形。廃止後は常総線へ移籍します。
▲いずれも樺穂-真壁 1987-3

続いてこちら、田圃に囲まれた風情が好ましい樺穂。小さい駅ながら列車交換もありました。
▲いずれも樺穂 1987-3

最後は終点に近い雨引-岩瀬間で見送ります。
この日動いていたのは旧常総筑波キハ503・504、旧雄別キハ761・811、旧国鉄キハ821・301の3編成。うち常総筑波コンビには派手なお別れペイントがされていました。 
▲いずれも雨引-岩瀬 1987-3
 
かつては国鉄からの直通列車も走っていた当線でしたが、早くから観光バスに押されたのに加えて、筑波以北の輸送密度の低さも廃止に拍車を掛けました。
「つくばエクスプレス」がもう少し早く開通していたら、別の運命を辿っていたかも知れません。
▲キハ763 岩瀬 1986-1

8 件のコメント:

  1. 子供の頃、家族で「筑波」号という国鉄直通列車で筑波山に行ったことがありました。
    土浦でEF80からDD502にバトンタッチ、これがせわしなくロッドを動かすのですが、それでもヒドくのろかったのが印象に残ってます。いつか弊HPにアップしたいと思います。

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  2. てつよしさん

    DD502の動く姿は私も見たかったです。
    81年に初めて訪問した際、筑波駅構内で筑波号編成を連結したまま昼寝しているのを見かけたことがありますが、走行シーンは拝めませんでした。コメントを拝見すると力行ながらユーモラスな姿だったようですね。てつよしさんのHPでの掲載楽しみにしております。

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  3. EXPO'85会場からそんなに離れていない場所ですが、筑波山周遊と万博を組み合わせるツアーも無かったように思えます。
    今ならレトロブームに乗っかって草臥れた気動車ももてはやされそうなものですが、当時科学技術の粋を集めたイベントの前には時代遅れの観光との相乗は全く考慮しなかったのでしょうね。

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  4. 12号線さん

    小学生の頃観光バスで筑波山に登ったことがありますが、当時から地味で寂れた印象でした。
    EXPO'85では「サイエンストレイン」が全国を回りましたが、すぐ近くにありながらそんな華やかさとは全く縁がなかったようで、何とも皮肉な感じがしますね。
    もともと岩瀬-筑波の運営が厳しかったので廃止は宿命かも知れませんが、小湊などの奮闘振りを見るともう少し生きながらえていたら・・・と思ってしまいます。

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  5. 筑波線、懐かしいですね。
    合宿を思い出しました!
    廃止は確か国鉄民営化の日でしたね。

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  6. chitetsuさん

    合宿の合間に、筑波山をバックにノンビリと撮影したのを思い出しますね。
    真鍋にいたキクハや04も懐かしいです!

    この頃は国鉄最期の日を迎えんとする時で、全国どこもお祭り騒ぎでした。
    一方こちらは地元の見物人とカメラマンがちらほら、完全に国鉄狂想曲の陰に隠れていましたね。

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  7. 最寄りは首里駅2017年1月30日 0:59

    廃止直前の1年間に数回訪れた程度ですが、筑波山から加波山の麓に沿って走る真壁以北の長閑な雰囲気が大好きでした。廃止直前に特集があったRM誌No.40を今でも捨てられずに残しています。末期に運用されていた車両は平凡なものでしたが、個人的には元国鉄10系で華奢なボディのキハ821が沿線の風系にマッチしていたと思います。廃止1ヶ月後の連休にレールが剥がされたばかりの廃線跡を岩瀬から筑波まで歩いて、自分の中で心の整理をしました。

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  8. 最寄りは首里駅さん
      
    筑波線は旧関東鉄道各線の中でも最もローカル色が強い路線でしたね。
    古いながら立派な木造駅舎もあり、長閑な沿線風景に似合っていたと思います。
    全国的な「さよなら国鉄」騒ぎの陰で静かに消えて行ったのも印象的でした。
    RMの特集は私も読みました。筑波線の撮影地ガイドとしてはたぶん唯一のものだったかと思います。

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