2017年1月17日

琴電長尾線

▲高松琴平電鉄130+230 西前田-高田 1989-2

1989年早春のこと、四国出張の機をチャンスとばかりに再訪した琴電ですが、海沿いの志度線を満喫した後は長尾線へ転戦です。

長尾線は志度線のような沿線風景の起伏がなく、単調で地味な印象です。
しかしコトデンの象徴である1000・3000・5000形を始め60・70形など魅力は満載、外す訳にはいきません。
▲仏生山 1985-5
  
まずはこちら、定番の西前田付近。
左右に田園が広がり、最も「引き」のある場所の一つです。
62の単行もやって来ました。ルーツは京急(京浜電気鉄道)のオープンデッキ木造車で、幾多の改造を経て戦後間もなくやって来ます。
▲いずれも西前田-高田 1989-2
 
▲水田-西前田 1989-2

65を撮り終えてから西前田駅までダッシュして1枚。相方は旧南武の850でした。
▲西前田 1989-2

かつて長尾線の中心駅だった平木。当駅止まりの列車も多く発着していましたが、隣に学園通り駅が開業してからは寂れ、現在は無人化されています。


平木の側線で休車中の71号。
かなり荒廃しておりてっきり廃車になるものと思っていましたが、志度線分断に伴う車両不足から白羽の矢が立ち、1996年に奇跡の復活を遂げます。
▲いずれも平木 1989-2

こちらは71の僚車、72。旧東濃100形の70形は唯一の東芝製電車でした。
▲瓦町電留線 1985-5

高田駅へ進入する2000形230。旧宮城電鉄の木造車を鋼体化した車で、この日は1000形130とコンビを組んでいました。
60形67。こちらは上と同じ旧宮城の2000形を再改造したもので、同じ60形ながらヤヤコシイ付番の仕方です。
高田駅舎。琴電には珍しい木造駅舎が残っていました。
▲いずれも高田 1989-2

60形65。旧京急木造車ですが62と違ってヨーカンのような更新車体が目を引きます。
▲瓦町 1989-2

金融危機の足音が近づいてくる中、バブルの残影に弄ばれての経営破綻。
そんな悪夢の予兆すら感じさせない、長閑な早春の一日でした。

琴電志度線 →→ こちら

▲瓦町 1989-2

4 件のコメント:

  1. 琴電は様々な個性ある車両が走っていて旧型電車の博物館のようですね。
    それにしても多種にわたる車両の整備は保守整備される職員さんも大変だったと思います。

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  2. 夢鉄道さん

    琴電は電車博物館という言葉がまさにぴったりでしたね。
    大手の中古車を譲り受けるだけでなく、廃止になった中小私鉄からこれだけ揃えた会社はあまりないのではないかと思います。オリジナル車の方も既に50年を超えており、整備の現場も相当な苦労だったと思います。

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  3. この頃の琴電は本当に楽しかったですね。10000系撮られていたとは羨ましいです。
    ワタクシも小学生時代から通い詰めて、気が付くと現地の知り合いも増えて第二の故郷と呼べる場所になってしまいました。
    この時代の琴電は琴平線の釣り掛け車ばかり追いかけてて、長志線には殆ど目をかけられなかった事を思い出します。

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  4. 宵闇さん

    京急1000系が主役になるまでは、どの路線も本当にバラエティに富んでいましたね。
    宵闇さんほどではないですが、一度や二度では撮り足りないため、私も何度も通ってしまいました。

    私は逆に志度線や長尾線偏重になってしまい、琴平線の方をおろそかにしてしまったのが悔やまれます。10000形を含め、旧名鉄や阪神ジェットカーなど吊り掛け車がまだまだ活躍していましたが、どうしても戦前派に眼が行ってしまいました。

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