2017年1月24日

東武佐野線あちらこちら

▲東武鉄道3050系 田島-佐野市 1974-6

「デンシャ」にレンズを向けたのは、40年以上前の東武佐野線が最初でした。
この時代の愛用フィルムは「フジカラーN100」。一番安かった製品ですが、改めて当時のネガを見返してみると、思いのほか変退色が少ないことに気が付きました。

▲富士フィルム公式HPから

むしろこの後に発売される「F-Ⅱ」や「HR」など、新製品の方がはるかに劣化が進んでいます。ちょうど普及し始めたミニラボのガサツな現像処理も拍車をかけたのでしょうか。
▲補正なしのスキャン元画像

▲画像ソフトで何とか修復 渡瀬-田島 1974-9

愛用と言っても小中学生の小遣いではやはり高価、「一コマいくら」で撮らざるを得ません。
当然のように傍にいた3050系や電機、そして雑多な貨車。あまりにも身近すぎてきちんとした記録が少ないのは後悔しきりですが、本日は自転車で撮り回った駄作スナップからお送りします。
▲佐野-堀米 1974-6

▲渡瀬-田島 1974-9

▲佐野 1974-6

▲館林-渡瀬 1974-5

▲佐野市 1974-10

▲佐野市-佐野 1974-5 
  
一方モノクロの定番は「ネオパンSS」と「SSS」。
田舎の写真屋にはコダック製品は置いていませんでした。
▲佐野市 1973-12

▲いずれも佐野市 1974-6

1973年当時の葛生駅。
旅客線は1面1線しかありませんが、広大な構内には電機や多彩な貨車がひしめいていました。
▲いずれも葛生 1973-6

当然すぎて気に留めなかった風景、しかしそれが当然でなくなる日は必ずやって来ます。
最近はこれがやたら早く去来するようになった・・・と改めて感じる管理人です。

1973-74年の東武佐野線 →→ こちら
1974年の葛生 →→ こちら

▲葛生 1974-10

4 件のコメント:

  1. 3050系の正面幕ですが、伊勢崎・日光線8000系と共用なのか「浅草」などのコマが見られますね。
    却って支線末端部の字幕がないためか、斯様にサボで代用しているのでしょうか。

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  2. 12号線さん

    ご指摘の件、まさにそのとおりです。
    小泉線などもそうでしたが、字幕にきちんと行先が入っているのは見たことがありませんでした。
    セイジクリーム色が登場した頃(74年初め)から「葛生-館林」と記された字幕もありましたが、一部だけだったと思います。

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  3. 東武佐野線はワンマン化直前に訪ねました。
    既に吊りかけ電車の姿はなく、850系や通勤改造1800系が運行してて、渡瀬-田島の鉄橋などで撮影しました。
    写真を拝見して、この頃に行っておけば良かったと感じました。
    葛生にあった住友セメントのナローも見たかったですね。

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  4. 三等急電さん

    渡瀬-田島の鉄橋に行かれたのですね。
    どちらの駅からも遠く、大変だったのではないでしょうか。

    通勤車改造後の1800系の活躍は短かったですね。
    帰省の際に乗る程度でしたが、デッキ仕切りが撤去されていたり、吊革が半端にあったりしてひどく違和感があったのを憶えています。3050系離脱後は佐野線をほとんど撮っておらず、今考えると5000系列も含めこの頃の記録をしておくべきでした。

    葛生のナローはまさに禍根を残したところです!
    当時は存在すら知らず、なくなる直前に雑誌で見ましたが(かの本島三良さんのレポートだったと思います)結局間に合いませんでした。

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