2017年9月19日

北陸鉄道小松線

▲北陸鉄道モハ3003・3001 小松 1984-11
 
北陸鉄道小松線は1986年の廃止まで終始小型車が主役でした。
84年秋、この日は新潟・蒲原両線を訪問後、急行「能登」で金沢方面へ向かいます。途中で散々寄り道して、小松に降り立ったのは夕方近くになってからでした。
▲モハ3001 加賀八幡 1984-11

こちらは基点の小松駅。国鉄駅の裏手に大きい駅舎がありました。
当線の主役はこちら、モハ3000形。
1949年にモハ1100形として誕生以来、他社に転じることなく北陸鉄道で一生を終えました。モハ3004は5両の仲間のうち唯一の前面窓未改造車です。
▲いずれも小松 1984-11
 
沿線風景は至って平凡、田畑と住宅地が混在する中をしばらく走ったと思ったら終点の鵜川遊泉寺です。無人化久しい駅舎は荒れ果てていました。
▲鵜川遊泉寺 1984-11 

唯一のポイントだった駅近くの梯(かけはし)川橋梁で構えます。左に見える木造の建物は変電所。
▲いずれも軽海-鵜川遊泉寺 1984-11
 
少し歩くと軽海駅。こちらも元有人駅ながら廃屋のようでした。
▲いずれも軽海 1984-11
 
軽海からは道路が寄り添ってくるので歩くのは楽ですが「引き」がありません。ガードレールをかわしながら何とか撮影です。
▲いずれも佐々木-軽海 1984-11
 
ほぼ中間にあるのは加賀八幡で、小松以外では唯一の有人駅。一人勤務の駅長さんは運転要員で、切符を所望すると「車内で」と言われました。本屋は心なしか傾いでいますが、やはり人の息吹を感じます。
折り返しの小松行に乗って戻ることにしました。
▲いずれも加賀八幡 1984-11
 
ひっそりと朽ちるのを待つかのような駅舎にかつて職員がいたとは信じ難いですが、いつ無人化されたのかは未だに不明です。手元にある切符を見ながら、少なくともこの頃までは幾分かの活気があっただろうと想像するしかありませんでした。
▲鵜川遊泉寺・若杉駅発行の乗車券(軟券の発行駅・時期は不明)

▲軽海 1984-11

6 件のコメント:

  1. 北陸鉄道小松線、懐かしく拝見しました。
    ここは尾小屋鉄道のついでに撮影した思い出しかなく
    尾小屋廃止の後は忘れてしまった存在でした。
    1986年まで存続していたとは…

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  2. 匿名さん

    ありがとうございます。
    3000形は大人しいスタイルで、これより前の世代(1000・1200形など)を知る方々には地味な存在だったかも知れないですね。沿線も平凡でどう撮ろうか迷う有様でした。今考えると駅風景などいかようにでも工夫できたのですが。小松と言えばまず浮かぶのは尾小屋鉄道ですが、残念ながらこちらは寸分の差で間に合わず、地団駄を踏んだ思い出があります。

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  3. 当時の小松線は車両がいなくても駅それだけで絵になりますね。
    当時、私は車両を入れなくてはに捉われて駅を撮ってしまいました。
    今、駅などの写真を大きくするときに大きく写った車両が邪魔で苦労しています(笑)

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  4. katsuさん

    私も長い間、車両第一で撮っていましたので、あまり大したことは書けないのですが(苦笑)。
    この頃から駅舎や乗客、駅員さんなどを入れた写真を腰を入れて撮り始めているのですが、もっと早くこういうスタンスを取っていれば良かったと思います。特に時代背景が克明に分かる路面電車などはあと3、4歩退いていればと後悔する破目になりました。
    車両中心の撮影が普通だったこの時代、失敗して色々と写り込んでいるコマの方が、今は作品としては生きますね。

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  5. 小松線は1回のみ乗りましたが、車窓は平凡であんまり印象に残ってませんが、車両は小さくてカワイイ感じでした。
    車輛の写真もいいですが、切符の写真もイイですね。旅の思い出が頭に浮かびます。これからも管理人さんのコレクションをときどき披露してくださいな。

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  6. maru-haどの

    やはり、そうきましたか!
    私鉄の切符は会社や時代によってバラエティ豊かで、見るだけで楽しいですね。
    当時の小松線には既に窓口売り切符はなく、パラフィン紙みたいな車内券だけでした。
    アップした謎の軟券の発行時期が未だにわかりませんので、是非解明お願いします!

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