2018年9月23日

1991年 那珂湊にて

▲茨城交通キハ1002・ケキ102 那珂湊 1991-4

「ケハ」と「ケキ」で占められていた茨交線に、道産子が大挙してやってきたのは1970年。以来キハ3710形が登場するまで、長くキハ20系列らが主役を務めてきました。

羽幌炭鉱鉄道からのキハ22に合わせ、渋いエンジ色へ模様替えした彼らでしたが、82年からクリームと青帯に、更に赤青の斜線が入るに及んで、すっかり写欲が失せてしまった管理人。
長い空白を経て、中根周辺の田園風景をメインに撮影を再開したのは、それから10年後のことでした。本日はその空白期間の只中、日立電鉄への道すがら立ち寄った記録からです。

▲キハ1002 那珂湊 1991-4

1991年春、既に大半は国鉄OBに代わっていました。
本日の当番はキハ113。111-113の3両のうち、2両が博物館入りしています。 この113は引退直前、1950年代の国鉄標準色に塗り替えられました。
後ろについていたのは旧キハ20のキハ202です。茨交にやって来る前、鹿島臨海時代にライトが角型でしかもこの位置に。何とも不格好ですがワンマン化・冷房化されずに早期に引退します。
▲いずれも平磯 1991-4

▲平磯-磯崎 1991-4

この塗装に沿線で撮り続ける気力が早くも失せ、那珂湊へ。
まずはこちら、「ヘソライト」で異彩を放っていたキハ1002です。カーブで光束を軌道中心に合わせるという優れモノ(但し手動)でしたが、点灯している記録を見たことがありません。既に廃車のようで、ガラスが割れた痛々しい姿でした。
こちらも留萌のキハ1103。キハ1000の後継種で、大人しい湘南スタイルに変わっています。この2車種には斜線塗装は入ることなく、このスタイルのまま引退しました。
茨交名物のケハ601は初のステンレスDCとして有名ですが、総括制御ができないことが祟って早々と予備車になり、この当時既に旧車状態。現在も車体が残っています。


 先ほど走っていた国鉄OBの兄弟車、キハ111・112・201が待機中でした。
色褪せたケキ103。この前年に廃車になっています。
▲いずれも那珂湊 1991-4

那珂湊駅舎。
隣の飲食店は閉鎖されたそうですが、三セクとなった現在も駅舎はほぼ変わらぬままというのは喜ばしいですね。
▲那珂湊 1991-4

こうして見ると、矩形の側面に斜線や曲線はやはり似合わないなあ、と改めて思います。尤も、「何でもあり」の現在の鉄道車両に比べればまだまだ大人しいですが。
▲那珂湊 1991-4

2 件のコメント:

  1. ヘソDCの車輪はスポークなのですね。
    また関鉄筑波線に渡った炭鉱鉄道出身車両でも菱型台車の採用見られましたが、多少なりとも安価だったのでしょうか。

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  2. 12号線さん

    キハ1002のスポーク動輪は初めて気が付きました。
    なぜ菱形台車になったのかは分かりませんが、丁度国鉄キハ10が誕生した頃で過渡期だったのかも知れないですね。後継車種の1100は大人しいですが洗練されたスタイルになっていますね。キハ20の車体に菱形台車を付けた夕張・雄別OBは好きな車両の一つです。

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