2018年10月12日

築地松と古典電車 その1

▲一畑電鉄デハ23+クハ101 大寺 1994-8

最後の活躍をしていた山陰本線のキハ181形を捕え、その道中にはもちろん一畑電車へ立ち寄り、往路・復路とも「出雲」を奮発して先が見えてきたブルトレも堪能・・・我ながら上出来と一人悦に浸ったのは1994年夏のこと。当時の一畑電車は旧西武451・551系が幅を利かせる一方で、在来車も辛うじて余喘を保っていました。
▲キハ181「くにびき」 3両編成とは何とも寂しいです

▲ローカルは未だ国鉄型の天下でした いずれも折居-三保三隅 1994-8

さて、往路の「出雲」から降り立った時間帯は北松江線のラッシュには間に合わず、大社線へ向かいます。大社線は単行が行ったり来たりですが、ここは未だデハ1形の独壇場でした。

本日の当番、デハ6がすっ飛ばして来ました。
無骨な昭和初期製デンシャの全力疾走は実に痛快ですが、シャッターが追い付きません。
当地の風物詩、築地松を構えた旧家をフレームに取り込んでしばらく陣取りました。かつて沿線の其処彼処で見かけた築地松も、かなり数を減らしています。
今度はサイド気味に狙ってみます。
何しろ速度が速いので、1/125でも背景が充分ブレてくれました。
▲いずれも川跡-高浜 1994-8

1994年の夏は記録的な暑さで(毎年同じことを言っている気もしますが・・・)、日影のない田圃の真ん中で粘るうちに早くもスタミナ切れ。辺りにはコンビニはおろか自販機一つなく、出雲大社前で一休みすることにしました。絵に描いたような夏空はどこへやら、雲が立ち込めてきました。
▲いずれも川跡-高浜 1994-8

さて、何はともあれ先ずは干乾びた身体に水分を補給、駅舎内で小休止です。やっと生気を取り戻すと、次はド定番・駅から程近い高浜川橋梁を渡るシーンを狙いました。
▲浜山公園北口-出雲大社前 1994-8

出雲大社前駅舎。
独特の意匠のこの駅舎は1930年竣工で、動物の「センザンコウ」を彷彿とさせます。96年に有形文化財に指定されてからは、内外が改装されカフェも併設されて綺麗になりましたが、生活感はなくなりました。

近くの踏切から大社前駅を望む。現在、デハ6の左側にはデハニ52が保存され運転体験もできるスペースになっています。一度マスコンを握ってみたいですね。
▲いずれも出雲大社前 1994-8

・・・とここで枚数が行ってしまいました。次回へ続きます。
▲出雲大社前 1994-8

2 件のコメント:

  1.  私も同じ頃に一畑を追い掛けていました。真夏の炎天下を延々ロケハン、一息ついて次に移動、となっても来る電車は全て非冷房車、今なら遠慮しとくわ、となりそうです。当時はまだ学生だったのもありますが、それだけ魅力的な電車があったからこそ、なんでしょう。この頃だと山陰本線の気動車も非冷房車が多くなかったかな? キハ58もこの写真の組み合わせだとAU13は無意味になりますし。

     一畑は当時は本当に速かったですね。デハ20+クハ100など次の駅が数百メートル先に見えて来る位までノッチ入れっ放しだったし、最終段、更に界磁タップまで使って、良く壊れないなーな走りっぷりでしたね。元西武451、551は本当に壊れそうな凄まじい音を立てて疾走していたのもまた懐かしく。

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  2. この訪問の印象はとにかく「暑い」と「速い」の一言に尽きます(笑)。
    若かったとは言え、水分も碌に取らずによくも歩き回ったものだと今更ながら思いました。同時に訪問した北松江線ではたった1本のデハ23を目当てに延々と待ったりもしました。電車は速すぎてシャッターが難しかったですが、吊り掛け音を響かせて飛ばす姿は爽快でしたね。

    山陰線のキハ58の冷房はオフでした。
    出雲市からの移動で、疲れ切った状態で乗り込んだら非冷房でガッカリしたのも今では良い思い出です(笑)。

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