2019年10月13日

お知らせ~しばらくお休みします

▲三井化学専用線11号 宮浦 2012-12

いつも小ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

故郷・栃木県佐野市が、先日の台風19号の猛襲を受けてしまいました。
管理人自身がまだ混乱しており、具体的に何をしたら良いのか、何ができるのか分かりませんが、まずは帰省しますのでブログは少しの間お休みを戴きます。

いつも訪問下さっている方には申し訳ありません。

落ち着きましたら再開しますので、またお付き合い下さい!!

▲宮浦 2012-12

「くりでん」電車時代 その6

▲栗原電鉄ED203 若柳 1987-2
 
戦前製の強者がいる訳でもないのに幾度となく通ってしまった栗原電鉄線。
典型的な私鉄ローカル線と鉱山鉄道の風情を併せ持つ不思議な魅力に加え、何より軽便時代の施設が残る駅風景に惹かれたのがその原動力になりました。

こちらは翌年の雪辱戦で沢辺を軸足に訪れた時のこと、刈入れ間近い田圃の一角に陣取って何本かの列車をやり過ごしました。

▲いずれも沢辺-津久毛 1988-9
 
 この日はほぼ半日を沢辺で粘り、駅舎も堪能します。
▲いずれも沢辺 1988-9
 
さて87年に戻って、こちらは細倉。
翌月に引退を控えたED201が最後の活躍をしていました。軽便規格を強引に1067㎜に仕立て上げられた彼が、巨大パンタを上げているのを見たのはこれが最後になりました。
▲いずれも細倉 1987-2
 
次は細倉の手前、雑誌にも登場した大きなSを描くポイントです。
▲いずれも駒場-細倉 1987-2
 
上のカットから振り返った地点。細倉の鉱山街が一望できました。
▲細倉 1987-2
 
駅に戻って漸く一休み。
待合室のストーブに手をかざしたり食料にありついたりするうちに、生気を取り戻して来ました。

C151がポツンと佇む以外はがらんとした構内です。
古典的なトが取り残されたように一人。
▲いずれも細倉 1987-2
 
今にも泣き出しそうな空模様も手伝って、鉱山鉄道の末期らしい寂しい光景でした。

「くりでん」電車時代 →→  その1 / その2 / その3 / その4

▲細倉 1987-2

2019年10月5日

「くりでん」電車時代 その5

▲栗原電鉄M153 駒場-細倉 1987-2

70年代の駄作スナップから電車末期の頃まで4回に亘ってお送りしてきた栗原電鉄ですが、今回は新たにデータ化した6×7版の記録をメインに、これまでの「使い回し画像」も交えて構成してみます。
▲細倉 1987-2
 
時は87年早春、鉄研時代の友人らと細倉の奥地、「温湯(ぬるゆ)温泉」に向かう折のことでした。
亜鉛鉱で盛業を極めた鉱山貨物が終焉を迎えようとする頃で、まずはガニ股電機・ED20は如何にと若柳の車庫を覗きます。
▲いずれも若柳 1987-2

西武から1977年にやって来た元国電のM17形。
当線随一の大型車ながら使い勝手が悪かったのかやはり老体だったのか、活躍はほんの一時でした。既に切り離されて休車中で、このまま廃車になります。
旧武蔵野の木造車を鋼体化したM18。
晩年はカラオケ電車に改造された挙句にそのまま廃車、無残な姿を晒していましたが、この頃は元気でした。
こちらは元東武日光軌道線のED35。
引退後は引き取り手を待ちながら長く放置されていましたが、現在は個人によって保管されています。

さて目当てのED20は3両の仲間のうち1号機が見当たらず、出動中かと期待が膨らみます。
片隅にいた2号機は1983年の廃車時のままのようで、かなりくたびれた様相でした。
▲いずれも若柳 1987-2

庫内の一番奥にポツンと鎮座する3号機は綺麗に整備されています。
▲いずれも若柳 1987-2

こちらは津久毛駅。
沢辺から広大な田園風景を一直線に飛ばすこの区間は、当線随一のポイントでした。この時は時間がなくこれらのカットだけでオシマイでしたが、翌年秋、稲穂輝く時季にリベンジを果たします。
▲津久毛 1987-2

次は終点・細倉へ向かうことにしました。
・・・次回に続きます。
▲沢辺-津久毛 1987-2