2019年11月9日

上信電鉄の試験塗装

▲上信電鉄デハ11 高崎 1975-6
 
再開第一弾は、小さい頃から馴染みだった上信線です。
古いフィルムをデータ化する余裕がなく、枚数は少ないですがご容赦のほどを。

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1000形入線前の上信電鉄には木造車を鋼体化した古強者ばかりが闊歩していました。
中でも最古参・デハ11(元東武デハ3)は、戦後いち早く改造されたせいか古めかしく、リベットがないことを除けば戦前の半鋼製車のようでした。早くも70年代初めから入換え専任に従事、しかし使い勝手は良かったようで、一線から退いた後も長らく活躍します。
▲デハ20 高崎 1977-1
 
1977年正月のことでしたが、雑誌の投稿コーナーにあった豆粒のような記事に眼が留まりました。曰く彼が「猫ヒゲのような」奇妙な塗分けに変身したとのこと、早速その週末に高崎へ。

正月で入換え任務がないのか、デハはパンタを下ろして構内の片隅に停まっていました。この形容し難い塗分け、前面の帯は確かに「猫ヒゲ」こと東武5700系を連想させます。
▲いずれも高崎 1977-1
 
今考えるともったいない話ですが、当時いくらでも走っていた鋼体化車らを追い駆けることもなく、この日はこれだけ撮って踵を返してしまいました。

上信の試験塗装には第二弾があり、この半年後だったか、クハ20が黄色と青のこれまた奇抜な塗分けで登場しています。

しかしこちらも見逃してしまいそうな雑誌の投稿コーナーに一度載っただけで、二番煎じに管理人も関心が湧かなかったのか、見に行くこともありませんでした。
正確な色や塗分けが分かったのはつい最近のこと、facebookでお世話になっている方の投稿からでした。塗分けと共に、三つ目ライトが眼を引きます。
▲第二弾・クハ20 高崎 1978-8 (撮影:志村聡司)

さてこのデハ11、1979年からは真っ黒に塗られてドラマロケに使われたりしました。
しかしその後間もなく80年に引退、果たして上信カラーに戻ることはあったのか、調べてみるも今もって分かりません。
▲いずれも高崎 1977-8

6 件のコメント:

  1. また、懐かしい鉄道情景を拝見できることに、感謝致します。
    大変な時期が続くと思いますが、どうぞ、お元気で。
    子供の頃に信越線急行電車車窓から見慣れた、褪せたような色の
    上信電車、未だに乗車したことがありません。

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  2. モハメイドペーパー2019年11月10日 22:53

     1000系はデビュー当初の試乗会で乗りました。この頃の標準色を見ると、鹿児島交通の気動車を思い出します。

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  3. 当時新幹線の高架が無いこともありますが、空が広く見えますね。
    今は元107系が線路を埋めている状況でしょうか。MT54搭載車が奏でるモーター音も貴重になってきました。

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  4. 匿名さん

    お気遣いありがとうござます。
    元からスローペースがよりスローになりそうですが、やはり鉄分は欠かせませんので少しずつでもアップしていこうと思います。宜しくお願いします。

    「上田や長野は何度も訪問したけど、上信や上毛は乗ったことがない」という方は多いですね。やはり地味なイメージがあるのと、中途半端に遠いというところでしょうか。私もこの記事の頃は乗ったことがなく、足繁く通うようになるのはデキ目当ての1988年以降でした。

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  5. モハメイドペーパーさん

    1000系は地味な上信のイメージをひっくり返すインパクトがありましたね。
    私もデビュー早々、ちょうど同じ時期だった秩父鉄道デキ7のさよなら運転とセットで見に行った思い出があります。

    在来車の塗色、帯が前面でカーブしているデザインが田舎臭くて個人的には好みです。
    ピンクを少し濃くすれば確かに鹿児島交通とそっくりですね。

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  6. 12号線さん

    新幹線開業前の高崎は本当に広大な駅という印象でした。
    上信越特急を始め旧型国電や電機もバラエティ豊かで、一日いても飽きない駅でした。
    その中で0番線から発着する上信は一際地味な印象でしたが、ここに107系が走るとは時代の流れを感じます。しかしその107系も今や貴重品なんですね。

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