2020年5月9日

世田谷線 1980’s

▲東京急行電鉄デハ74 下高井戸-松原 1980-5

「招き猫電車」が闊歩する現在になっても相変わらず人気の世田谷線ですが、90年代までは玉電の生き残りが更新を受けながら生き永らえていました。

田舎ローカル私鉄に比べると優先度がガクンと下がる大手の路面電車型ながら、思い付きで立ち寄れる気軽さもあってお気楽スナップが結構残っています。
▲いずれも下高井戸 上:1975-6 下:1977-5

▲上町 1977-5

こちらは1980年暮れ、デハ70形の更新が進む頃のスナップです。
辛うじて74号が未更新のまま残り、更新後の73とコンビを組んでいました。

戦時中に導入された70形は玉川線の主力として活躍後、同線廃止後も長く世田谷線に在籍。3450形らと共に物持ちの良い東急ならではでした。
▲いずれも山下 1980-12

更新後のノッペリ車体70形は80形と見分けがつかず・・・と思いきや、こちらは前面窓のRやアンチクライマがなく、ノッペリ感が際立つうーむな風体です。

この後江ノ電のような「下ライト化」がされて一層不格好になり、更には台車交換やカルダン化もされて新造に近い状態となるも非冷房や木の床はそのままというアンバランスさでした。
▲松原 1980-12

戦後生まれの80形は当初から張上げ屋根です。
▲上町 1977-5

▲松原 1980-12

玉電最後の新造車、ステンレスモドキの150形。
▲松原-山下 1980-12

▲いずれも下高井戸 1980-12

肩肘張らずにふらっと立ち寄れる気軽さ。
この親近感が細く長く続く人気の理由かも知れないですね。
▲松原-山下 1980-12

4 件のコメント:

  1. タンコロ終焉の項、元80形ではウテシ着席していますが本家は終生立ったままでの運転でしたのでしょうか?

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  2. 12号線さん

    確かに世田谷線の運転士は皆立ってマスコン握っていますね。
    社内のルールだったのでしょうか。
    江ノ電は如何にともう一度確認してみましたら、タンコロだけは立ったままで他は着席状態でした。タンコロの席が恐らく狭すぎたのでしょうね(笑)。

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  3. ナロネ212020年5月17日 21:34

    はじめまして。ナロネ21と申します。
    このころ、世田谷線に乗って通学していたので懐かしいです。
    撮影地についてですが、1枚目が下高井戸~松原、7枚目と9枚目が松原、10枚目と13枚目が山下~松原と思われます。

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  4. ナロネ21さん

    訪問&撮影場所のご指摘ありがとうございます(修正しました)。
    撮影地をきちんとメモしないくらいリキが入っていなかった証拠ですが(苦笑)、それだけ身近で気軽に立ち寄っていたのかも知れません。今、このようにふらっと撮影に行ける路線は本当に少なくなりました。
    更新ペースは遅いですが、また覗いて頂ければ幸いです。

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