2022年8月28日

「ベスト判」フィルムの記録から

▲銚子電鉄デハ201 外川 1957-4

1973年初夏、管理人が初めてデンシャに向けたカメラは、家から持ち出したメーカー不明の35mm判でした。

当時徒党を組んでいた同級生の中には、発売間もない「コダックポケットカメラ」や「リコーオートハーフ」を手にしている者がいて、無性に羨ましかった憶えがあります。自分のやつの方がレンズは明るく版面も大きいですから鮮明に写るのに、やはり真新しいボディが斬新でオシャレに見えたのでしょう。

中には、これまた家から持ち出したであろう古色蒼然たる二眼レフの者もいて、上から覗くファインダーや左右が逆の撮像、120フィルムの装填に難渋しながらも器用に使いこなす姿に感心しきり。しかし、流石に蛇腹式を持ってくる者はいませんでした。
▲撮影場所不明(外川?) 1957-4

この頃フィルムと言えば35mm・120の2つとポケットカメラの110サイズが標準、というより田舎の写真屋ではこれしかお目にかかれませんでした。鉄道誌で「ベスト判」「ボルタ判」などなど名前だけは知っていても、実物を見る機会はついぞありませんでした。

・・・という訳で長い前置きでしたが、今回は手元にある古い記録から、ベスト判(4×6.5cm)フィルムをデータ化してみました。

こちらは1957年4月とメモ書きがあった銚子電鉄の風景。
勿論まだポール集電で、管理人もごヒイキのデハ201は簡易鋼体化前でした。


▲いずれも外川 1957-4

この頃、デビュー間もないキハ17が快速「房総の休日」として外川まで乗入れていました。戦前から海水浴列車が運行されていた房総半島では、戦後もキハ17の導入モデル線区に指定されると行楽列車網は更に充実し、69年の千倉電化まで「ディーゼル王国」が続きます。

調べてみると「房総の休日」は1955年-60年までの運行、新宿発8:00→外川着11:26。
これに揺られて延々3.5時間は当時も楽ではなかっただろう、仲ノ町・笠上黒生・犬吠で停車するけどホーム長は足りたのか・・・などと余計な心配をしてしまいます


▲いずれも銚子 1957-4




▲いずれも外川 1957-4

ところで各サイズのフィルムを同じ解像度でデータ化してみると、35mm判では扱いやすい反面あまり拡大はできず、トリミングにも自ずと限界があります。逆に6×7判だと少々のトリミングでは画質はビクともしないけど、データ量が重過ぎて管理人のオンボロPCでは読み込みにも一苦労。一方でベスト判はその中間くらいですから、読み込み速度も画質も丁度良いアンバイ、といったところでしょうか。

さて、こちらは1958年の新京成線・松戸駅。
まだ京成OBの木造車が単行で動いていた頃で、沿線も未開の地でした。
モハ45は1927年、41は25年製ながら大手としては古めかしいスタイルで、21年生まれの先輩格・20形の流れを引き継いでいるのでしょうか。当線に嫁いでくるや、両車ともこの風体のまま自動ドア化されています。



▲いずれも松戸 1958-6

こちらは撮影時期不明ながら、木造のツワモノが闊歩していた時代の大雄山線。
一見西武231形コンビながらモハ45が伊那電、クハ23が木造院電とルーツを異にします。


▲いずれも小田原 撮影年月不明

こちらも元木造院電のモハ20・30形。
上のモハ31はモニタ屋根が残り原型の面影がありますが、下のモハ21は大改造がなされてこのようなカマボコ形に。当時の塗装はグリーンと黄色の湘南色に近い配色でした。


▲いずれも小田原 撮影年月不明

ところで冒頭の銚子電鉄のフィルムには続きがあり、こちらもお目にかけましょう。
この頃は首都圏の国電が72・73系に置き換える過渡期だったようで、17mと20mの混合編成が見られました。



▲いずれも神田 1957-4

2022年8月18日

大阪の昭和デンシャを追う その3


▲阪急電鉄3330ほか 南茨木-茨木市 2022-3

南海電車を堪能した後は、怖そうな繁華街をしばし徘徊。
昼なお暗いこの駅では、怪しげなおっちゃんに出会うのが楽しみの一つです。前回は一升瓶を抱えたおっちゃんでしたが、この日もJR線ガード下の踏切をブツブツ言いながら行ったり来たりするヒトに出くわし、絡まれないように「そーっと」撮り終えました。


▲こちらは前回のスナップ 新今宮駅前 2021-12

この定期売場は、年季の入りようからして閉鎖されたものとばかり思っていましたが、現役です。扉はもちろん厳重に施錠され、窮屈そうに担当者が詰めているのが見えました。

ここから程近い「動物園前商店街」を覗いてみたものの、昭和レトロブームのせいか観光客らで結構混雑しています。期待外れとばかりに1枚のスナップも撮らず、暮れてもきたしそのまま大人しく安宿へ引き揚げることにしました。




▲いずれも新今宮駅前 2022-3

さて翌日は、朝から煙雨のような鬱陶しい空模様。
南海アプリを覗いても「当たり」の赤矢印はなく、モチベーションは低空飛行ながら、先ずはお決まりの住吉大社前に行ってみます。住吉さんでトイレなど拝借しているうち、雨が上がってきました。




▲上:神ノ木-住吉 下:住吉鳥居前 2022-3

まだ降りたことのない松虫で下車、ここで南海アプリをもう一度覗くと「当たり」矢印が出現しています。引き揚げようかと思っていたのを急遽変更、このまま待ち受けることにしました。

▲いずれも松虫ー東天下茶屋 2022-3

あびこ道からやって来たのは筑豊カラーの162号。
前回のモ161・164・166と併せ、これで全4両を短期間のうちに仕留めたことになりますが、管理人的には南海グリーン時代の方が断然ごヒイキでした。
▲いずれも松虫-東天下茶屋 2022-3

振り返って1枚。
松虫周辺は下町と都市空間が混在する、ちょっと不思議な風景が広がっています。
▲松虫 2022-3

程なく折り返して来る浜寺公園行きも同じ地点で。
どうにも薄暗いですが、光線状態を気にしないで済むお蔭で動線の自由が利きます。

▲阿倍野-松虫 2022-3

90分待って折り返しを待つか他線へ向かうか迷いましたが、ドンヨリ空も手伝って天王寺へ戻ることにしました。

午後からは阪急京都線へ転戦、狙いはやはり先が見えてきた3300・5300系です。
かつて「阪急顔」ばかりだった時代、「特急」の丸サボを二つ引っ提げて疾駆する5300らを何度も拝んでいるハズなのに、記録は皆無。旧型車にしか眼が行かなかった時代の罪滅ぼしとばかりに、南茨木のホーム端で彼らを待ちます。




▲いずれも南茨木 2022-3

しばらく粘った後は隣の茨木市へ。
ここでも暫く構えてみますが、結局1時間粘ってこの編成1本だけでした。これにてタイムアップ、あとは帰るだけになりました。


▲いずれも茨木市 2022-3

思いのほかの収穫に気を良くし、帰り際にこちらも覗きます。
この10系も、先月のラストランを最後に形式消滅したのは記憶に新しいところです。


▲新大阪 2022-3

世代交代が関東ほどのスピードでなく当面安泰・・・などと勝手に思っていましたが、これらを撮って間もなく、矢継ぎ早に阪神5001系2編成が引退してしまいました。上の阪急車や南海6000も淘汰が今後も加速しそうな気配で、あと3回は出向きたいところです。
▲茨木市 2022-3

2022年8月7日

大阪の昭和デンシャを追う その2

▲南海電鉄クハ6504ほか 今宮戎-新今宮 2022-3

さて、翌日は近鉄田原本線へ向かいます。
かつての近鉄カラーを纏った8400系がここを中心に運用されており、この3月末で標準色に戻る予定、との情報を得て迷わず選択。

新王寺駅に来るのは800・820形が活躍をしていた1982年以来ですから、実に40年ぶりです。車両は変われど、駅の佇まいはそのままでした。

▲新王寺 2022-3

本日の出動は60年代の濃紺か800形を模した茶色か・・・などと期待しながら乗り込んだはいいものの、何とこの日はお休み。出鼻を挫かれました。

HPなどで運用についての案内はないし、SNSでチェックするもーといよりチェックの仕方がマズイかもですがーよく分からないしで、結局そのまま西田原本まで乗り通すかありませんでした。


▲西田原本 2022-3

ひょっとして橿原線で動いているかも・・・と田原本駅近くで待ってみるも、そう都合よく来てはくれません。気を取り直して本線系へ転戦です。

考えてみれば近鉄の本線格をマトモに撮るのはこれが初めてで、内部・八王子線や伊賀線、そして40年前の生駒・田原本線くらいしか記録していない有様ですから、今さら復刻カラーがどうのこうの・・・などと偉そうなことは言えないですね。
▲石見-田原本 2022-3

田原本から大和西大寺へ。
奈良市随一のジャンクションである当駅の見所といえば、やはり凄まじい線路の輻輳、通称「鬼線路」でしょう。四方向からの路線が交差し、それぞれが乗り入れる上に車庫もある関係で複雑極まりない配線になっています。

近鉄の最大勢力、8000系一派は総数500両超。
この分野に疎い管理人には皆同じに見えてしまいますが、製造年代や機器類の違いなどにより8000・8400・8600・8800に分かれます。



しばらくホームを行ったり来たり。
あわよくば午後から橿原線に復刻塗装が登場するかも、との淡い期待もあってしばらく粘ってみることにしました。


▲いずれも大和西大寺 2022-3
                                   
改めてこの「鬼線路」を観察です。
もちろん自動で制御しているのでしょうが、ポイント切り替えの制御盤はどうなっているのだろうと妄想せずにはいられません。人力に頼っていた時代はまさに職人芸だったのでしょうね。



デビュー当時は見向きもしなかった京都市交10系も抑えます。これも、20系の登場で今後置き換えが進んでいくでしょう。
▲いずれも大和西大寺 2022-3

「鬼線路」と近鉄顔を堪能した後は難波まで戻り、南海電車へ。
主目的は淘汰が進んできた6000系ですが、こちらも動向が気になる6300系や7100系、そしてカクカクの昭和顔が大好きな6200系らももちろん標的です。


▲新今宮 2022-3

ここはゴツイ架線柱がポイントで、これをわざと目立たせて撮ってみます。
休日とあってか同業者もちらほらいますが、何人かに「6000系が来るんですか」と聞いてみると「それは分からないけど、南海電車が好きでよくここに来ている」由、葬式鉄ではないと知って何だかほっとしました。



▲いずれも新今宮 2022-3

しばらく粘っていると、橋本から本命がやって来ました。ここは当然、折り返しを待つことにします。


待つこと30分、折り返して来ました。
鉄板アングルですが、今度はいつやって来るか分からないですから、どうしても無難な撮り方になってしまいます。やはり、南海電車はスカートはない方が格好良いですね。



▲いずれも新今宮 2022-3

あわよくばと少し待ってみましたが、2匹目のドジョウは現れません。「こうや」を最後に引き揚げることにしました。
▲新今宮 2022-3

駅を出てちょっとアブナイ雰囲気の街中へ。
休日で人通りが多いにも拘らず怖そうなおっちゃんもちらほら、絡まれるのを避けながらしばし徘徊するうちに、春の陽もとっぷり暮れました。

明日はモ161形の出動を期待しつつ、阪堺電車を覗きます。
・・・しつこくまだ続きます。


▲新今宮駅前 2022-3