2022年9月25日

春を待つ片上線 その3


▲同和鉱業片上鉄道1レ 河本-備前矢田 1991-3

さて、ストーカーのように執拗に追い駆けてきた1レ、最後はまたも中山駅近くへ。
立ち上がる霧とその隙間から差してきた陽が幻想的なシーンを現出、最後の片上行に相応しい画になりました。



▲いずれも清水-中山 1991-3

片上駅を覗いてみると、任務を終えた1レが入換え中です。
客車の布陣は木造鋼体化車のホハフ2000形3両と旧国鉄オハ35のホハフ3000形2両。末期の1レ・2レは2両もあれば充分でしたから、完全に役不足でした。





▲いずれも片上 1991-3

入換作業を見届けると沿線へ。
川霧もすっかり晴れ、前日と違って早春の陽光が心地良い1日になりました。
▲河本-備前矢田 1991-3

前日も構えたポイントで。今日は昼の単行運用でも702が大活躍です。
▲いずれも益原-天瀬 1991-3


▲いずれも河本-備前矢田 1991-3

吉ケ原に入線する702。
「片上仕様」ともいうべき鋭角屋根が特徴的なこの駅舎は、周匝・美作飯岡・柵原と吉ケ原にありました。吉ケ原は廃線後も「柵原ふれあい鉱山公園」の拠点として整備され、2006年には登録有形文化財に指定されています。


▲いずれも吉ケ原 1991-3

上の列車が柵原から折り返して来るところを美作飯岡寄りで構えます。田植え前の田圃に影を落としながら、ゆっくりと去っていきました。


▲いずれも美作飯岡-吉ケ原 1991-3

山深い天瀬駅に到着。陽炎が立ち昇ってきました。

▲上:天瀬 下:益原-天瀬 1991-3

大きく弧を描くホームが印象的な清水駅。
右側には交換駅だった時代の対向ホームと線路敷がそのまま残っています。去っていく702が視界から消え、これにてタイムアップです。


▲いずれも清水 1991-3

前日の早朝、雨の和気駅でポツンと待っていたのがこの702。そして最後を締め括ったのも702。これまで肘鉄を食らうばかりの彼でしたが、最終回は最後まで付き合ってくれ、名残を惜しむには充分でした。

吉ケ原駅跡に誕生した「柵原ふれあい公園」では保存車12両の殆どが動態保存。
303・702の動く姿を今一度見たいと思い続けるも、アクセスの悪さと運行日の少なさもあって未だ叶わずです。岡電訪問と兼ねて再訪を企んでいるところですが、再会した途端に「随分とご無沙汰やな」と叱られてしまいそうです。
▲河本-備前矢田 1991-3



▲片上 1991-3

2022年9月16日

春を待つ片上線 その2

▲同和鉱業片上鉄道キハ702 益原-天瀬 1991-3
 
さて些か倦怠ギミながら、レンタカーの機動力をフル活用して撮り歩きます。
柵原の鉱石を運ぶ最短ルートで敷設された片上鉄道は、全体的に吉井川沿いの長閑な山里を行くローカル線ながら、備前矢田や周匝といったささやかな都邑も通ります。そのいくつかを見て回りました。

▲上:備前塩田 下:備前矢田 1991-3

終点の柵原は鉱石の積込場が撤去されて寂しい佇まいに。窓口も無人化されていました。

▲柵原 1991-3

管理人が発案したのでしょうか、この時も「茶臼山俯瞰」へ。
これで通算4回目、我ながら呆れますが周匝駅から延々山登りをした前回までと違い、呆気なく着きました。初回(1989年冬)を除けば曇天だったり名物の川霧に視界を遮られたりでしたが、今回はマトモな方でしょうか。しかし吉井川は濁り水、中々上手くいきません。



▲上・中 美作飯岡-吉ケ原 下:周匝-美作飯岡 1991-3

下山もこれまた呆気なく終わり、次は第一吉井川橋梁へ。夕方から選手交代したらしく、再びキハ702が出動して来ました。

▲備前福田-備前塩田 1991-3

最後は夕方の吉ケ原行・2レを狙うべく、朝方と同じ地点に立ちました。


▲いずれも清水-中山 1991-3

レンタカーの強みを活かし、2レを追い駆けます。
和気ではどの列車も10分以上停車しますから余裕で待ち受けることができますが、露出が稼げずモノクロに切り替えです。

▲益原-天瀬 1991-3

これにて本日は終了、念願だったキハ702を堪能でき充足の1日でした。
この日は片上駅近くの宿でメンバー一同枕を並べた筈、しかし記念写真が残っておらず部屋がどんなだったか、何を食べたのかなど記憶がスッポリ抜けています。


▲晩飯前の夜間撮影も いずれも片上 1991-3

明けて翌日、朝から名物の川霧が一段と濃く視界はゼロ。めげずに先ずは1レから撮影開始です。


▲備前福田-備前塩田 1991-3

通過と同時に大急ぎで機材を撤収、追い駆けます。
しかし緩慢スピードの列車には直ぐに追い着いついてしまい、前日も陣取ったポイントで待ち伏せ。川霧は少しずつ晴れてきました。

▲いずれも河本-備前矢田 1991-3

次は益原駅近くで待ち受けます。
こんな芸当ができるのも、のんびり列車とほぼ並行する道路があってこそでした。
・・・とここで枚数を稼いでしまいました。しつこく続きます。


▲いずれも益原-天瀬 1991-3

2022年9月7日

春を待つ片上線 その1


▲同和鉱業片上鉄道1レ 清水-中山 1991-3

遠隔地にも拘らず、沿線の風光に惹かれて何度も通った片上鉄道。
しかし、旧国鉄キハ07の702とは巡り合わせが悪く会えたのはたったの2回、しかも1回は雨、残りは夕刻の1往復だけという有様でした。

1991年3月、この日は学生時代の鉄研仲間と徒党を組んでの訪問です。
屋台骨だった鉱石輸送は既になくなり、起死回生を図った観光鉄道への転身も頓挫、と万策尽きた感ありの頃でした。この年3月末の廃線予定が代替バスの事情で3か月間の延命、元から少ない列車が2時間に1本程度と更に寂しくなっていました。
▲キハ702 天瀬 1991-3

この日は寝台特急「瀬戸」を奮発、勇んで早暁の和気を降りると、向かいのホームには片上行のキハ702がポツンと待っているのが見えました。これは幸先良いスタートです。

続いて柵原行のキハ303も入線。
和気ではどの列車も長時間停車のため、しばらく彼らを観察です。いつもキハが付けているヘッドマークがなく、駅員さんに聞いてみると盗難予防のため外している由。やはりと言うべきか、いつの時代も廃線が騒がれ出すとナラズ者が跳梁し始めますね。



▲いずれも和気 1991-3

先ずは混合列車「1レ」を押さえるべく、こちらで下車。
朝から小雨の降る鉛空で、露出もモチベーションも低空飛行ながらこれは外せません。
▲中山 1991-3

先ほど乗ったキハ702が片上から折り返して来ました。
程なくしてこれが和気で1レの殿につき、Uターンして来る筈です。

待つこと1時間、やって来ました。
相変わらずのドンヨリ空ですが、本日のメインですから2台体制で構えます。これに貨車が連なっていた頃は壮観だったでしょう。

▲いずれも清水-中山 1991-3

1レに続いてやって来る片上行を和気側で待ち構えました。
ここからは鉄研メンバーと合流、レンタカーでの撮り歩きを開始。列車本数が一段と減り「乗って撮って」のハードルは南部縦貫並みの高さでしたから、ここで徒党の利を活かさない手はありません。

▲いずれも中山-和気 1991-3

中山を後にするキハ303。
盗難予防というマイナスの事情ながら、やはりマークは付いていない方が個人的には好みです。
▲中山 1991-3

次は片上線の象徴とも言うべき吉井川をフレームに入れることにしました。
朝方はキハ303と702という最高の布陣でしたが、途中からやはり800形も出動して来ます。まだ花の時期には早いようでした。
▲天瀬-河本 1991-3

のんびりと流れる吉井川を横目に、こちらも至極のんびりと走ります。
前日までの雨のせいでしょうか、茶色く濁った川面が惜しいところです。



▲いずれも河本-備前矢田 1991-3

片上線では最も長い第一吉井川橋梁(355m)を渡ります。

▲備前福田-備前塩田 1991-3

やって来るのはキハ800形ばかりになってしまい、朝方の覇気もちょっと弛緩気味になってきました。夕刻の2レまで引き下がる訳にはいきませんし、途中のメンバー交代を期待しつつ沿線めぐりを続けます。
・・・次回に続きます。


▲片上 1991-3