▲弘南鉄道クハニ203 西弘前 1970-11
「あと10年、いや5年早く生まれていれば間に合った」と叶わぬ妄想を抱いた路線は数知れず。しかしこれが「滑り込みアウト」となると、山形交通や庄内交通を始め、東武32・54形、上田交通真田傍陽線、世代交代前の長電や関東鉄道・・・と近場にも憧憬の路線がずらりと並び、やはり臍を噛まずにはいられません。
国鉄や秩父鉄道の木造車が70年代半ばまで棲息していた弘南鉄道大鰐線も、またしかりでした。鉄道少年時代から木造車好きの変わったお子でしたから、弘南カラーに塗分けられた彼らはさぞかし「男前」だっただろう、と渇望は一際強いものがありました。
▲間一髪で間に合った栃尾線 長岡 1974-8
・・・という訳で、今回は手持ちの古い記録からこちらをお送りします。
まずは原型に近い姿のまま最期を迎えたクハニ203。
3両の仲間(201~203)はいずれも旧国鉄のサハ19形で、元を糺せば明治末期から大正初期に登場した6000番台で始まる院電の一派でした。
妻面だけが半端に鋼体化されたクハニ201。
この頃は荷物室をなくしてクハ201(初代)になっていました。
上の201とそっくりのクハ202。
同じフィルムにはなぜか相方・モハ100形の姿が1枚も写っておらず、撮影者に何か意図があったのでしょうか。秩父鉄道オリジナルの木造車を簡易鋼体化したゲテモノだっただけに、本当に惜しい。
▲いずれも西弘前 1970-11
次は同じフィルムに写っていた弘南線です。
こちらは国鉄車と富士身延車の天下で、特に身延車は総勢7両の大所帯でした。
この後東急から3600形が大挙してやって来るのと引き換えに大鰐線へ集団移住することになりますが、クハニ1280形3両はその対象から外され、そのまま引退してしまいます。
▲いずれも平賀 1970-11
管理人世代にとっては弘南鉄道の代名詞的なデンシャだったモハ2250形。
彼を目当てに、遠い弘前の地へ何度足を運んだことでしょうか。
▲いずれも平賀 1970-11
前職の松尾鉱業からやって来たばかりの旧阪和のモハ2025と2026。
この後クハに改造されて東急車とペアを組む姿を見た時は、車体の大きさの違いに驚いたものです。巨体はもちろん、高性能過ぎて地方私鉄には役不足だった阪和形が再就職したのは、急勾配ゆえハイパワー電車を要した松尾鉱業へお輿入れしたのが唯一の例でした。
▲いずれも平賀 1970-11
最後は切符「見せびらかしコーナー」です。
この当時に記念乗車券を発行していたのは僅かに国鉄と公営交通くらいで、地方私鉄はほとんど例がありません。開業という一大イベントだったこともあるのでしょうが、当線への期待も大きかったのでしょう。