2021年8月1日

南海の昭和デンシャ+α その1


 ▲南海電鉄モハ2232 汐見橋 2021-5

貴志川線を除けば、南海電車は乗るばかりで腰を据えて撮ったことがありませんでした。
和歌山に何度も宿を取り野上電鉄へ向かうことはあっても、南海電車は移動手段でしかなかったという体たらく。

関西私鉄の本線系は世代交代が早くに終わり、ゴツイ戦前形も鋼体化車もいないせいか全国を徘徊する頃には縁遠い存在に・・・長居して撮り回ったのは近鉄や阪急の支線がせいぜいでした。
▲浜寺公園 1988-1

しかし最近はどうか。
一足遅く戦前派の淘汰が進んだ関東も、その後はビミョーなデザインの新車ばかりが登場し、食指の動くのは殆ど見掛けません。先が見えてきた東急8500系やメトロ7000系が数少ない標的、といったところでしょうか。

一方の関西圏、こちらは昭和時代にデビューした電車たちがまだまだ本線上を疾駆。
例えば阪神青胴車や阪急5100、神戸1000、そして南海6000・・・と趣味的には断然こちらに分があります。

▲和歌山 1989-10



▲「乗りつぶし派」の友人に付き合って初乗車 水軒 1988-1

中でも南海高野線は本線よりも世代交代が1テンポ遅く、6000系始め「南海顔」がまだまだ多数棲息中。しかし50年以上主役を務めてきた彼らにも、ここへ来て世代交代の波が急速に近づいて来ています。

・・・という訳で決して不要不急でない大阪行の折、迷わず南海6000系を選択。
所用から解放された午後は、本日の出動メンバーを押さえるべく、先ずはこちらの駅で待ってみることにしました。
▲浅香山 2021-5

最初にやって来たのは6200系。
初期車は既にデビュー後45年が経過していますが、引退する仲間もおらず未だ第一線で活躍しています。

機能本位一辺倒・四角四面の昭和顔は好悪が分かれそうですが、特に貫通幌付きは管理人的には大好きなスタイル。出身地(東急車輛)や年代が同じせいか東急8000系を彷彿とさせ、無塗装時代も見たかったところです。
スカート付のこちらは、チョッパ制御車の試作的要素の強かった8000系からの改造車。
1編成しかいませんが、この日は元気に走り回っていました。



6000系の後輩格、6300系。
こちらも誕生後50余年が経っていますが、引退の始まった6000系を尻目にまだまだ矍鑠としています。

▲いずれも浅香山 2021-5

・・・と、いくら待っても6000系の来る気配がありません。
朝からドンヨリだった空もついに泣き出したので撤収、安直にこの駅で待つことにしました。

ホームのベンチにヘタリ込み、暫く出動メンバーを観察。
泉北高速3000系は6200系の兄弟車で、初期車から徐々に数を減らしています。


▲いずれも天下茶屋 2021-5

暗くなってきたしそろそろ退散か・・・と思い始めた頃にやっとお出ましになりました、6000系。散々待ち惚けを食いましたが、一気に2編成と来るときは来るものですね。

山深い千早口-美加の台辺りで走行シーンをと画策していましたが、最早追い駆ける気力もなく、再会を期して今回はこれで妥協です。



▲いずれも天下茶屋 2021-5

さて、本日はこれでタイムアップ。
難波へ舞い戻ると、先ほどの編成が折り返しの待機中でした。今回はどうも巡り合わせが悪かったようです。
▲難波 2021-5

とここで枚数がいってしまいました。
・・・次回に続きまーす。
▲木津川 2021-5

2021年7月25日

憧憬の仇敵・230

 ▲高松琴平電鉄36 房前 1989-2

京急デハ230形の現役時代には残念ながら間に合いませんでした。
昭和初期製にも拘らず巨大な窓に浅い屋根と軽快なデザイン、同じ戦前形なのに「東武32形と何故こうも違うのか」と気になっていながらも、国鉄や中小ローカル偏重だった当時のこと、ついつい後回しにしてしまったのでした。

私鉄の情報は極端に乏しい1970年代、雑誌に登場する記事と言えば大手の新車くらいで、旧型車の引退などは豆粒のような投稿コーナーに載るくらいが関の山。あとは軒並み賞味期限切れの「後情報」ばかりでした。
▲この切符で空港線での引退を知った次第。大師線は発売しなかった気も

・・・という訳で長らく憧れの存在だったデハ230形ですが、一方で琴電の在来車を追いやった仇でもあります。

「阪神の喫茶店」こと先代30形を始め、モニタ屋根の610や旧山陽の920、そして京急時代の先輩格・鋼体化車10形などを次々に放逐。こんな訳で彼らに対しては憧憬と怨嗟が入り乱れる複雑な心境にありました。

▲32と旧南武の81。窓の違いが際立ちます 1989-2

230形時代を含め、初めて会ったのは1985年連休の四国行でのこと。
既に全7編成14両が出揃い、志度・長尾線の主力になっていました。

一見全部同じに見える京急230形、しかしルーツは第一陣の湘南電鉄デ1形に始まり、製造年次に併せて京浜電鉄デ71・83形、湘南デ26形、京浜デ101形と細かく別れ、車体や機器類が微妙に異なります。琴電には旧湘南デ1形、京浜デ71・83形がやって来ますが、こちらは元京浜デ85(→京急デハ270)の34です。

▲今橋 1985-5

志度線のネグラ、今橋検車区。
琴電経営破綻の端緒となった1994年の同線分断によって、この検車区も離れ小島になってしまいました。現在大規模検査などは仏生山車庫まで陸送して行っているそうで、どう考えてもこの分断は愚行の極みとしか思えません。


▲いずれも今橋 1985-5

春日川を渡る30形。
当時の訪問目的は勿論1000・3000・5000らでしたから、これが来るとガッカリして適当にシャッターを切っていました。京急時代は憧れの存在だったのに、この豹変ぶりは我ながら困ったものです。


▲いずれも春日川-潟元 1989-2

志度線随一の名所「房前の鼻」。
このポイントも、現在は防潮壁ができて視界がめっぽう悪くなりました。


▲いずれも塩屋-房前 1989-2 

こちらは長尾線。
こうして見ると、貫通扉の有無で随分と印象が変わりますが、断然「なし」の方に分がありますね。

▲いずれも水田-西前田 1989-2


▲瓦町 1989-2

30形が主役に伸し上がった一方で、1000・3000・5000形らの引退がなかったのは幸運でした。生え抜きメンバーは最後の最後まで外さない・・・と考えたのかどうかは分かりませんが、この姿勢が後々の動態保存に寄与することになります。

▲高田 1989-2


▲春日川 1989-2

さて一大勢力になった30形でしたが、1999年から登場した名古屋市営OBの600形・700形に取って代わられる形で姿を消していきます。
2001年に花道を飾るはずだった最後の27+28編成は直後に襲来した琴電経営破綻によって図らずも延命、07年まで孤塁を保つことになりました。


▲房前 1989-2

2021年7月18日

1000系 鮮烈の登場

▲上信電鉄クモハ1001 高崎 1977-8

些か大げさな言い回しながら、1976年春に彗星のごとく登場した上信1000系。
当時の上信線と言えばまだまだ木造鋼体化車が伸し歩き、同社初のカルダン車・200系も陳腐化が進んでいた頃で、いかにも「パッとしない」路線でした。

折りしも近代化を目論んでいた同社、デビューに当たっては斬新な車体デザインに加え、空気バネ台車やワンハンドルマスコン、電気指令式空気ブレーキなど最新の機能をテンコ盛りにしており、力の入れようが分かります。

非冷房ではあるものの、ローズピンクの地味な電車ばかりの同社にあって、彼の登場はイメージを一新するに充分な役割を果たしました。


▲当時の主役たち いずれも高崎 上:1974-12 下:1976-2 

しかし小学生時代から馴染みの同線、新車にも余りときめかなかったのか、わざわざ見に行くこともしないまま。

最初の出会いは1976年7月末、丁度デビューから半年経った頃でしたが、秩父鉄道デキ7の惜別運転を見物に熊谷へ向かった折、その合間に高崎まで往復した時でした。

▲高崎 1976-7

その翌年の夏休みのこと、雑誌で見たのか鉄道友の会「ローレル賞」の受賞記念列車が上州富岡まで往復する由、この手の記事としては極めて珍しい事前情報です。同社はもちろん中小ローカルとしても稀有な受賞ですから、それならばと重い腰を上げることにしました。

さて高崎に着くと、既にお色直しされた1000系が待機中。
デハニ31+デハ20+クハニ13の古色蒼然3連に乗って先回り、お手軽ポイントの南高崎-根小屋に陣取ることにしました。


▲いずれも高崎 1977-8

待つことしばし、晴れ姿でやって来ます。
せっかくですから、前面が目立つようアップで撮ってみました。発車前に贈呈式をやったのでしょう、花束を持った職員さんもいます。


「架線柱ど真ん中」ながら、一応尻も追いかけます。
▲いずれも南高崎-根小屋 1977-8

高崎からほど近いにも拘らず田圃の広がるこのお手軽ポイントは、この後も「デキ詣で」で足繁く通うようになります。1994年秋にデキ貨物が廃止になってからはご無沙汰していますが、現在はどう変貌しているでしょうか。



▲いずれも南高崎-根小屋 1977-8

せっかく来たのにこの手のイベント列車はどうにも力が入らず、ドンヨリ空模様も手伝って「追っ掛け」は中止、早々と高崎に舞い戻ることにしました。

帰路の両毛線発車までの半端な時間は、国鉄線を眺めて過ごすことにします。
当時の高崎は、一日中いても飽きないくらい多種多様なデンシャを見ることができました。



▲いずれも高崎 1977-8

0番線ホームには、先ほどの祝賀編成が任務を終えて戻って来ていました。折り返しの下仁田行で通常運行に戻るようです。


▲高崎 1977-8

鮮烈なデビューを果たした1000系でしたが、やはり3両固定編成は持て余したのか2001年に2連に改造。切り離されたクハ1301は新造の運転台を設置して独立、という大手術を受けることになりました。

1988年から「デキ詣で」で何度となく通う羽目になった上信線。
1000系とはその度に顔を合わすことになるも、やはりデキや200系の「ついで」に撮っている感あり、そうこうしているうちに超うーむな広告電車に化けてしまいました。もう一度デビュー当時の塗装を見たいものですが、現在の他のメンバーを見ると最早望めないかもですね。
▲下仁田 1992-12