2016年6月28日

閑散期の大井川へ その2

大井川鉄道
▲大井川鉄道オハ35形車内 千頭 2015-3

さて千頭に到着した101レは、僅かな乗客らが記念撮影などを終えてしまうと、早速カマの入換作業を開始します。
C108
C108
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▲いずれも千頭 2015-3

この駅で機回しを見るのは実に30年ぶりです。
本数の多い季節を狙い、沿線の其処彼処に転戦するのが常でしたから、こうしてノンビリと入換作業を眺めるのは新鮮でした。
C10
C10
▲いずれも千頭 2015-3

次は客車内をウロつきました。
レトロ感演出のため、三等表示があったり1970代の国鉄路線図を残しています。
大井川鉄道
大井川鉄道
▲いずれも千頭 2015-3

宛がわれた102レの席は、運よく白熱灯が唯一残るオハフ33215でした。
ガタゴトという懐かしい律動を堪能したり、「SLおばさん」なる案内人から巨大な「動輪どら焼き」を買ったりしているうちに夕暮れの新金谷に到着です。
大井川鉄道 客車
大井川鉄道
▲いずれも102レ オハフ33215車内 2015-3

たった1本ながら、この時期の収穫は結構ありました。
空いているという点が第一ですが、これ以外にも「短編成のため補機なし」「C10牽引の可能性大」「白煙の期待大(機関士のサービスにも左右される)」「カラシ色の『トーマス』編成ではなく、オハ35形・オハフ33形で編成される可能性大」など・・・・もちろん私の独断と偏見もありますが。

これに味をしめて、1カ月後に再訪。
カマはC10でしたが、4月に入ったせいか白煙は黒煙に変わり、乗客もそこそこ多く、途中から団体貸切客が乗ってきたりと、やはり真冬に限るな・・・と感じた次第でありました。
大井川鉄道
▲千頭 2015-4

2016年6月25日

閑散期の大井川へ その1

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▲大井川鉄道102レ 千頭 2015-3

旧型電車が健在の1980年代から何度も来ている大井川鉄道ですが、こと蒸機列車に関しては遠くから撮るばかりで、ついぞ乗ったことはありませんでした。

2015年3月、全く突然、旧型客車に乗りたくなって出掛けました。
シーズンオフのため101・102レ1往復だけの運行。
往きは撮って帰りは乗る、装備もカメラ1台に交換レンズ1本というユルさです。

まずはこちらの2駅を訪問。
ロケ用に復元された田野口を始め、無人駅は総じてきれいに整備されています。
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▲いずれも地名 2015-3
 
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▲いずれも青部 2015-3

さて青部から歩くことしばし、お馴染みの第2橋梁で構えます。
小雪舞う中、C10+33・35系客車4両、補機なしの最も「汽車」らしい編成が猛然と白煙を上げてやって来ました。2両目は貴重なノーヘッダー試作車、オハ35 149です。
C108,大井川鉄道
大井川鉄道
▲いずれも青部-崎平 2015-3

次の電車は3時間後までなく、ここから千頭までタクシーで移動です。
普段は記念撮影でごった返している千頭も、この日はまばら。
C10をゆっくり間近で観察するのはこれが初めてでした。
C108
C108
C10
▲いずれも千頭 2015-3

実際にカマに触れ旧型客車に揺られてみると、普段の認識とは全く異なる表情がありました。この後C10の入換シーンを堪能し、何十年かぶりの旧型客車に乗り込みます。
・・・・次回に続きます。
C10
▲千頭 2015-3

2016年6月22日

「とってつ」回想 その2

越後交通
▲越後交通ニフ20 長岡 1974-8

さて、長岡駅を発車したモハ207他3連はあっという間に2つ目の下長岡に着きました。
下長岡車庫は、長岡にあった「フシギ車両生産工場」が1967年に移転してきたものです。

先ほど乗ったモハ207が入庫してきました。早速点検が始まります。
モハ207は草軽からやってきたモハ100形を自社で垂直カルダンに改造した車です。
越後交通
▲モハ207 下長岡 1974-8

唯一の電機は1949年日立製のED51です。貨物輸送は既に廃止されており、除雪・工事用として待機していました。
echigo-kotsu▲ED51 下長岡 1974-8

貨車も2両いました。限られたフィルムで、1枚に収めようとしてこんな撮り方をしています。
ワ12は倉庫代用。屋根に付けられた通風用のモノが懐かしいですね。
▲ワ12とト7 下長岡 1974-8

これで栃尾線は終了、長岡に戻ります。
▲下長岡車庫全景(左が本線) 1974-8

現在なら1日どころか1週間粘りたい心境ですが、「あれもこれも」の早回り旅ではそうも行きません。次の目的地、蒲原鉄道や新潟交通を目指します。

加茂で客待ちの蒲原鉄道モハ61。旧武蔵野車で、まだワンマン化されていませんでした。
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▲モハ61 加茂 1974-8 
加茂の駅名表示。後年「ぢんがみね」は「じんがみね」に変わりました。 1974-8
 
新潟交通クハ45+モハ16。こちらもまだツーマン時代です。
▲いずれもクハ45+モハ16 燕 1974-8
 
予備知識がなかったので、蒲原も新潟交通も初めて見るものばかりでした。
その後長岡まで戻り、関東では見られない特急「北越」「白鳥」などを押えます。
▲489系「北越」 長岡 1974-8

これにて終了、急行「佐渡」で帰ることにします。夏休みの長い1日が終わりました。

ここで「長岡線はどうした!」とツッコミが入りそうですが、残念ながら時間の余裕がなく行けませんでした。蒲原や新潟交通は後回しにすべきだった・・・と何度悔やんだことか。

でも当時にしてみれば全てが初めてでしたから、バス移動を避けて行程を組んだ結果でしょうか。結局、長岡線は貨物専業となった後も機会に恵まれないまま終わりました。

▲越後交通 長岡 1974-8

2016年6月19日

「とってつ」回想 その1

echigo-kotsu
▲越後交通ED51 下長岡 1974-8

「とってつ」こと越後交通栃尾線を知ったのは、「鉄道ファン」誌に載った1973年4月の部分廃止の記事でした。食い入るように見ていると、「残り区間もあとわずか」との文字が飛び込んできました。
次の夏休みの行先は決まりです。

さて即断はしたものの、日帰りで限られた原資(=小遣い)ですから、行程のやり繰りは時刻表との格闘です。初めての新潟行であれもこれも見たくなり、「下長岡の車庫まで往復→蒲原鉄道・新潟交通を一覗き→合間に北陸特急+入場券・DJスタンプ集め」という欲張りコースになりました。

まずは高崎から一路長岡を目指します。181系に乗ったのはこれが初めてでした。
181系▲181系「とき」 高崎 1974-8

特急初乗車の興奮冷めやらぬうちに長岡に到着。一直線に栃尾線ホームへ走ります。
出迎えてくれたのは倉庫代わりのニフ20、構内外れにあった2両の客車でした。
越後交通▲ニフ20 長岡 1974-8

かの草軽電鉄からは多くの電車・客車が転入しましたが、これもその仲間です。
ホハ50は元草軽ホハ23です。
japan-railway▲ホハ50 長岡 1974-8
 
越後交通
▲いずれもホハ50車内 長岡 1974-8

サハ306は草軽のモハ100形を付随車化したものです。
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▲いずれも長岡  1974-8
 
初めてのナローの線路に見惚れていると、次々にデンシャが入線してきました。
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▲クハ104 長岡 1974-8

越後交通▲モハ212 長岡 1974-8
 
echigo kotsu▲モハ207 長岡 1974-8

このモハ207に乗って下長岡車庫を目指します。
夏とは言え、ドアを開けっ放しで発車したのにはビックリしました。
独特の垂直カルダン音は残念ながら判別できませんでしたが、すこぶる静かな走りに「東武3050系と大分違うな」と驚いたのを憶えています。

・・・・次回に続きます。
▲ホハ50 長岡 1974-8