2016年6月10日

新塗装 登場

東武鉄道
▲東武鉄道3050系 佐野市-田島 1974-12

その時のことは、40年以上経った今でも鮮明に覚えています。

小学生も終わりという1974年早春のこと、校舎の屋上でボケーとしていると、クラスのガキ大将格がズカズカやってきて、顔をズイと近づけ「おい、今朝変な電車を見た」と興奮気味に言います。

「変な電車・・・」
当然、こちらは興味津々です。
「そう、よく分からないけど、真っ白い電車だった」
白い電車・・・冷蔵車の臨時貨物・・・? まさかね、うーむ、ちょっと見当がつきません。
しかし、デンシャに全く興味のない彼を驚かせたのですから、余程のインパクトだったのでしょう。

学校が退けてから最寄駅を覗いてみるも、そう都合よく来るはずもありません。
館林に行けば何か分かるだろうと、早速その週末に行ってみました。

勝手知ったる館林検修区、小道をすいすい抜けて通用口から入り込みます。
まずは見慣れたこちらの電車。この前年、最後の54系を撮った場所です。
東武鉄道
と、後ろにケッタイなものが見えます。
近づいていくと・・・・
東武 クリーム「ナンデスカコレハ・・・・」
思わずひっくり返りそうになりました。しばし呆然、言葉も出ません。
 
これが初めて見るセイジクリーム色でした。まだ塗って間もないようでピカピカです。
幌のあたり、心なしか塗り残しがあるように見えます。
東武クリーム
▲いずれも館林検修区  1974-2

アイツが見たのはこれだったのか、こりゃ驚くわ・・・などと感慨にふけっていると、後ろで出庫の気配がします。振り返ると・・・・東武
 ▲館林付近 1974-2
 
またも絶句・・・彼が見たのはどうやらこちらのようです。
一しきり驚いた後は区内をぐるりと見て回りましたが、他にこの塗装は確認できませんでした。

取り敢えず駅に戻ります。
先ほどの編成が1番線・佐野線ホームに停まっていました。
▲館林  1974-2

「最初にセイジクリームになった編成」については、調べてみるも未だ分かっていません。恐らくこの2編成に試験的に塗ってみたのでは、などと高を括りますがあくまで想像です。

歴代の試験塗装のカラーグラフと共に、「クリーム色になった東武電車」なる記事が「鉄道ファン」誌に載ったのは、この3カ月後のことでした。
東武 3000系▲3050系新旧カラー  館林検修区 1974-5
 
館林駅構内は広く、貨物側線が何本もありました。
▲ED5001 館林 1974-2
 
過渡期には新旧混色編成も見られました。
▲館林-多々良 1974-5

14 件のコメント:

  1. 東武3000系はいつ見てもいいですね。あの8000系モドキの車体に古い下回り。ワタクシの釣り掛け人生は初代小田急4000系や京王5100系で育ったのでああいう機器流用の更新車を見るとワクワクしてしまいます。
    引退時にはオリジナルビデオも発売されて、地味な電車ながら一番目立った車両だったのかも知れません。
    東武というとセイジクリームという印象が強いのですが、出てきた時はやっぱり斬新だったのでしょうね。

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  2. 宵闇さん
    オレンジとベージュのツートンは毎日のように見ていましたので、クリーム色を初めて見たときは本当に驚きました。「下地の色」といった揶揄もありました。
    3000系列は一見同じに見えますが、種車は昭和初期のデハ5・10形、省規格型、木造鋼体化車・・・と千差万別ですね。複雑すぎて今でもよく分からないですが、そこがまた面白いところです。

    小田急4000や京王5100も懐かしいですね。初めて上京した73年頃に新宿でスナップした憶えがあります。その後都内で生活するようになり何度となく撮るようになりました。

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  3. 私はこれ、東上線で見てぶったまげました。
    正直、下塗りにしか見えませんでした。
    塗装に少し錆が乗ってからはカステラ電車と言われるようになったのも今や死語ですね〜

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  4. この頃、東上線で通学していたので、懐かしい驚きが甦りました。
    始めは、これは下塗りでその上に色を塗ると言う者もいました。
    これが最終塗色とわかると、(東上線を芋電と呼んでいたので)口の悪い者は「粉吹き芋」と言い出しました。

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  5. chitetsuさん
    やはりオドロキましたか!
    下塗りに見えた・・・皆さん同じに見えるんですね。塗装というものはテツだけでなく利用者にとっても路線の象徴のように重要だと思います。
    塗りたてより錆が浮いてカステラになった方が見栄えが良いですね。

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  6. 三等急電さん
    驚きとともに「下塗りに見えた」というのは同じですね。
    本で読んだ受け売りですが、当時の根津社長が地味好みでこれになったらしいです。真偽のほどは不明ですが・・・・
    それにしても、「粉吹き芋」には笑ってしまいました。

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  7. 生まれてこの方ン十年の東上線ユーザーです。この「新」塗装、やはり初めて見た時にはぶっ飛びました。「カステラ電車」は鉄ではない人から聞いて納得でしたが、「粉吹き芋」は初めて聞きました。なるほどと感心しました。他に我々地元民は「ういろう」と言っていました。つるんとした感じがいかにも言い得て妙と思いましたがいかがでしょう…。

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  8. HKRさん
    訪問ありがとうございます。
    やはりこの色、初めて見る方は皆さんオドロキだったみたいですね。
    「粉吹き芋」もそうですが「ういろう」の渾名は初めて聞きました。
    直方体にあの色では確かにそう見えますね。
    ネットなどない時代、見る人それぞれが独自の面白い名前を付けらていれたようで、それだけ塗装というものがいかに影響力があるか再認識した気がします。

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  9. 現在の白ボディーにブルーラインは館検の2両固定が最初でしたね。

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  10.  8000系はまだしも、旧型はブレーキシューの鉄粉で窓から下が薄茶になっていました。
    社長もそうなることまでは気がつかなかったのでしょう。

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  11. イチヒロさん
    訪問ありがとうございます。
    小田急のような現行カラー、館林が最初とは知りませんでした!
    館林区は実験場みたいな要素があったのでしょうか。
    とすれば、セイジクリームの最初も館林……と妄想してしまいました。

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  12. モハメイドペーパーさん
    訪問ありがとうございます。
    78系は汚れても「カステラ」っぽくてそれなりに見られましたが、3000系列は目立っていましたね。
    セイジクリームは結構長続きしましたが、良く持ったものだと今更ながら思います。

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  13. はじめまして。当方も東上線沿線に居住しております。
    幼少の頃、一段下降窓の旧型に乗った記憶ございますが32系、あるいは出力UP54系の一員だったのでしょうか。
    客室壁が若草色で、座席が紺色。水雷型のドア開閉灯も古めかしく見えたものです。

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  14. 12号線さん
    訪問ありがとうございます。
    おそらくですが、「一段下降窓の旧型」で狭窓車だと1926年から製造された旧デハ5形一派を種車とする32系または54系かと思います。

    ただご存知かも知れませんが32系・54系の出自は典型的な戦前東武型のデハ5形のほか、特急用デハ10形・省規格型・総武鉄道買収車・木造鋼体化車・・・と非常に多彩で、32●●形か54●●形かの特定まではできないのですが・・・クハの方はさらに複雑怪奇です。
    私が写真を始めた頃は佐野線に54系が2本辛うじて残っておりました。

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