岩手開発鉄道は幹線ルートから遠く、乗車して撮影となれば現地に宿泊しなければなりません。「最も行きにくい私鉄」ですが、それ故乗ってみたい誘惑に駆られました。
1988年秋の北東北巡りの帰途、花巻から釜石線に乗車。
延々3時間、更に釜石から三陸鉄道に乗り換えて、盛に着く頃には20時を回っていました。ビジネスホテルはなく、民家のような駅前旅館に投宿です。
明けて生憎の大雨。宿の女将さんに頼んでおいたおにぎりを持って、始発列車を待ちます。
盛駅の構内は広く、岩手開発のホームはその外れにポツンとありました。
掘立小屋のような駅舎ですが、出札窓口があり運転士が駅員を兼務していました。
キハ202は1968年、新潟鉄工製の自社オリジナル車。
産業鉄道らしく機能本位一辺倒、飾り気が全くありません。好悪が分かれそうですが、ここまでデザイン性無視というのも逆に珍しい存在でしょう。
雨は止む気配すらなく、沿線を歩くのは諦めてこのまま貨物列車を狙うことにしました。
日頃市は元有人駅で大きな駅舎が残っています。
元来石灰石輸送の専用線みたいなもので、旅客はおまけですから沿線には観光名所はおろか商店すらなく、この雨では長居できそうにありません。
一通り撮ってしまうとやることがなく、仕方なく帰途につきます。
帰りの乗客はゼロ。運転席の後ろにへばり付いていると運転士さんが話しかけてきて、世間話などしながら楽しい一時を過ごしました。停車中にお願いしてポーズを取ってもらいました。
盛では朝方見かけたこちら、元夕張鉄道キハ200形のキハ301を観察。
予備車ということですが少々くたびれているように見えました。
▲いずれもキハ301 盛 1988-9
岩手開発は本州で最も訪問しにくい鉄道でしたので、逆に行ってみたいという気持ちになりますよね
返信削除盛で乗り換えると、あれっというくらい不便でしたが盛の小さな窓口にも硬券があり、しかも車内券もありました。終点まで行くとスイッチバックで、面白かった記憶があります。
三陸鉄道のキハがイベントでもいいから乗りいれしなかな???
軟弱者なので岩手開発は訪問していません。
返信削除デザイン性無視のキハ202ですが、自家発注私鉄気動車としてはおそらく昭和40年代唯一の新形式と思われます。
老朽化した戦前生まれ中古気動車の代替用として中古車を探したが適当なものがなく止む無く新製したそうです。
直後に北海道の炭鉱閉山により廃止鉄道から状態の良い中古車が多く発生したのは皮肉でした。
この車両の特徴は戦前型気動車に多く見られた偏心台車を採用していることです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E3%81%AE%E5%8F%B0%E8%BB%8A#.E5.81.8F.E5.BF.83.E5.8F.B0.E8.BB.8A
国鉄で採用されなかったためかキハ10系量産後はほとんど使われなくなり、偏心台車を採用した車両は大分交通→紀州鉄道キハ600形や由利高原鉄道YR-1000形など一部に留まりました。
私鉄気動車ネタになるとついついオタク話になってしまい、すみません。
maru-haどの
返信削除これに先立つ1984年に国鉄盛線や宮古線に乗りに行った際、盛の車庫をチョイ覗きしてからというもの、どうしても行きたくなって出掛けました。本当に遠かったです~!
岩手石橋のスイッチバックやその手前のSカーブで写真撮りたかったですが、雨で断念してしまいました。
88年当時は硬券はすでになく、車内券と同じ切符に赤鉛筆で○印を書いて出札していました。
三等急電さん
返信削除当線は一大決心しないと行けない場所にありましたね。
キハ202、食パン型で平凡ですが一形式一両、他に例を見ない希少車だと思います。
タイミングが合えば羽幌炭鉱や留萌、三井芦別などの中古車が入っていたかも知れませんね。
台車についてのご指摘、ありがとうございます。
現車を見たときは「変わった台車履いているな」くらいの認識しかありませんでしたが、そのような特殊なものだとは知りませんでした。大分交通のキハも同類だったとは驚きです。
非電化私鉄も今後少しずつアップ行きたいと思いますので、宜しければまたご覧下さい。
こんにちは。
返信削除非電化私鉄は個人的にはあまり興味はないのですが、葬式鉄なものでこの鉄道の最終日の最終列車だけ乗りに行った事がありました。
その日は勿論元夕張のキハ301に乗って全線一往復したことを覚えています。
石橋駅のスイッチバックや意外と山間部を走る風景、さらにこの沿線の町や村がすごいお祭り騒ぎになっていました。そしてなぜかのろしが上がっていたことを思い出します。
お土産で買ったかもめの卵というお菓子とめかぶがとても美味しかった思い出があります。
宵闇さん
返信削除キハ301の動く姿に触れられたとは羨ましい限りです。晩年は動いた日が多かったようで、記念乗車券の絵柄にもなりました。
普段は寂しい山村ですが、そんなお祭り騒ぎになっていたとは知りませんでした。
岩手銘菓「かもめの玉子」、昔お土産でもらっておいしかったのでこの時は自分で買って帰りました。
ここは仕事として行きました。盛に泊まって、翌朝、終点まで1往復というのはほとんど同じコースです。岩手石橋、日頃市とも、撮れるアングルは大体限られますね。
返信削除確かに不便な場所でしたね。私も旅客最終日と、貨物のみになった後の2回しか行ったことがありません。しかも後者は全面ウヤの日に当たってしまい、こんな所まで一体何の為に来たのだか、と思いました。キハ301も乗りましたが、重量級鉱石列車が頻繁に走るだけあって、軌道規格が地方私鉄にしては異例に高く(下手な大手私鉄幹線より高規格!)、お世辞にも乗り心地が良い台車と言えなかった菱枠式のTR29なのに、滑るように走ったのが印象的でした。
返信削除キハ202が製作された昭和43年頃と言うと、確かに中古車両の端境期に当たり、車齢的に良さげな放出品というと、北海道拓殖鉄道キハ301位しか無かったかもしれません。道内メーカー製の客車台枠流用車と言う事で敬遠されたのか、新潟鉄工が廃止情報を知ったのが新車製作着手後で後戻りできなかったのか、結局同車はどこにも再就職の縁が無かったのが残念ですね。車輛譲渡は、車齢やスペックより、売りたい側と買いたい側のタイミングが一致するかどうか、が最も重要だと感じます。
モハメイドペーパーさん
返信削除本数も少ないので、やはり盛に泊まらないと難しいですね。
岩手石橋手前のSカーブ、日頃市手前のトンネルなどはお手軽ですが絵になるアングルですね。
私は撮れなったので、貨物専業にはなりましたが何とか行きたいと思っています。
雪うさぎさん
返信削除貨物専業後も行かれているとはすごいですね(残念な結果でしたが・・・)
確かに長大な鉱石列車に耐え得るほどの高規格路線でしたから、単行のDCは何とも不釣合いでした。
道内の中古車、羽幌炭鉱・留萌・三井芦別・雄別・夕張と沢山ありそうでしたが、関東鉄道や茨城交通にごっそり持って行かれたという感じですね。まさに縁は異なもの、です。
拓殖キハ301に引き取り手がなかった理由は謎ですが、やはり古すぎる部品があって敬遠されたのではと思います。
しっかり行っていますね!
返信削除運転手が駅務を兼ねているとは知りませんでした。
私は走行優先して、結局乗らず終いになってしまいました。
盛の駅が変なところにあったのと、沿線の駅舎がどれもしっかりしていたのが印象に残っています。
chitetsuさん
返信削除しっかり行っています!
どういうルートで行っても遠いので盛に泊まりましたが、ボロいけど感じの良かった駅前旅館もいい思い出です。chitetsuさんもしっかり走行撮ってますね~
旅客列車は数本しかなかったので専任の駅員さんは要らなかったのでしょうね。
駅舎が立派なのも、乗客というより貨物・保安要員用兼倉庫として使っていたのだと思います。