2016年7月10日

新潟交通 六分あたり その2

新潟交通▲新潟交通クハ48+モハ16 味方付近 1988-5

六分で長居しすぎたせいか、その後は早回りになりました。
次は隣の月潟です。こちらも交換駅で貨物ホームや多くの側線が残っており、旧月潟村(現:新潟市)の拠点だったのでしょう。

1993年の部分廃止でここが終点となりますが、その際側線などは悉く撤去され、1面1線になってしまいました。
niigata-kotsu

▲いずれも月潟 1988-5

その後は同行メンバーと一旦別れて、隣の曲まで歩きます。
曲は1面1線の無人駅ですが、1980年頃まで駅舎があり委託駅員もいました。

旧国鉄キハ04のクハ37を逆に付けていますが、こういった「クハ逆向き」編成が何本もありました。
クハは回送扱いで、乗車はできませんでした。
▲いずれも曲 1988-5

続いて中ノ口川土手沿いにある味方です。
旅客線は1面1線ながら、こちらも貨物ホームや側線が残っていました。
新潟交通
▲いずれも味方 1988-5
 
最後はこちら、灰方駅。田圃の中の小駅といった風情ですが、他駅同様の設備を残します。大きな農業倉庫があり、こちらはまだ現役のようでした。 
▲いずれも灰方 1988-5

当線は軌道区間以外の殆どが中ノ口川沿いを走るため、燕~灰方~小中川あたりは数少ない田園が広がる場所です。
灰方
新潟交通
▲いずれも燕-灰方 1988-5

朝の五月晴れはどこへやら、雲行きが怪しくなってきたのでそろそろ引き揚げます。

改めて当時のフィルムを見返してみると、東関屋や白山前にも行き、その後また六分に舞い戻り、とあちこちを徘徊した1日だったようです。

さて燕へ戻り、一気に今夜の宿泊地の酒田へ。
翌日は「乗りつぶし」派の友人らに付き合って、陸羽西線・東線、更には石巻線を乗り継いで本州横断の旅へ向かいました。
▲六分  1988-5

2 件のコメント:

  1. ワタクシも1992年軌道区間がなくなった直後に新潟交通を訪れましたが、燕駅の端っこからのんびり出発する電車はとても田舎を感じさせた事を思い出します。
    月潟以南は田んぼの真ん中を高速でかっ飛ばしていた事が懐かしいです
    さようなら路面電車のテレカをお土産に買い、月潟以南を往復しました。
    今では電車もなくなってとても寂しい限りです。

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  2. 宵闇さん

    燕から新飯田あたりまでは田園が広がりローカル私鉄らしい雰囲気でしたね。
    私も初めて当線に触れたのが燕駅でしたので、非常に思い出深いものがあります。
    軌道部分とともに絵になる区間が先になくなってしまい、魅力が半減してしてしまいました。
    軌道が廃止になる際は記念乗車券は発売されませんでしたが、テレカの現地販売があったんですね。

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