▲東武鉄道モニ1475 北千住 1974-2
殆どの大手私鉄には珍奇な事業用車が棲息したものですが、多くは1970-80年代までに駆逐されました。東武はと言うと、大所帯の割にはゲテモノ的な車は少ない方だったと思います。
今回はそんな中から記録できたもののご紹介です。
荷電は各社にありましたが、赤一色という奇抜さの上、狭い側面窓や巨大パンタなど「戦前東武型」を色濃く残していたところは貴重品と言えるでしょうか。
仲間の多くは1977年頃までに消えましたが、伊勢崎・日光線系統のモニ1740形3両は83年の荷物輸送廃止まで残りました。うち、モニ1473はその後も西新井工場の入換用として余生を送ります。
1975年廃車のモニ1475。前面は1473と同じく均等な窓配置でした。
▲いずれもモニ1475 館林検修区 1974-7
こちらは一灯時代のモニ1742。この翌月に二灯化されました。
▲館林検修区 1973-6
セイジクリーム化後のモニ1471。
東武型の巨大パンタはこの後間もなく交換されます。
こちらは私鉄唯一のオイラン形限界測定車、ヤ1形です。
館林の浅草方、その昔ピーコックが屯ろしていた旧館林機関区にいました。
周囲にも怪しげな車がぞろぞろいますが、記録していないのは何とも悔やまれます。
同じ場所にこれもいました。貨車としてでなく、救援用として待機中です。
貨物輸送私鉄1位の東武には車掌車ヨ101形・201形が多数いました。
葛生で待機するヨ101群。この他、大叶線専用のヨ201もいました。
葛生のヤードで入換中に突放されるヨ205。
▲いずれも葛生 1974-10
しかし、ゲテモノ度ではこちらが横綱級でしょうか。
32系の更新で余った車体に手持部品を組み合わせた救援車、クエ7000形。
東武型の巨大パンタを乗せていますが動力ではなく電源確保用です。
救援車という用途が幸いしてか、クエ7001は1986年まで残りました。仲間のクエ7002は東上線・森林公園検修区にいましたが、こちらは1978年に廃車されています。
・・・・しかし!!
「情報と行動力さえあれば間に合った」という条件付きにすると、西新井工場の入換車モハ1101(旧デハ5)とサイリスタチョッパ試験車サヤ8001(旧モハ5451)の2両が断トツです。
これは撮りたかった・・・
その昔レール運搬は東武の木造客車由来の長物車(むーさんの鉄道風景より、http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link133.html)使っていたようですが、昭和60年ごろは国鉄から借用したチキ5500が下板橋に屯していました。
返信削除
返信削除12号線さん
東武のレール運搬光景は見たことがなく、京急や京王のような「デト」もいないので、どうやっているんだろうと思っていました。国鉄からチキを借りていたんですね。
「む~さんの鉄道風景」は私も拝見していますがこのページは気付きませんでした。客車改造のチキとは凄いです。他にもタ1形始め怪しげな貨車がぞろぞろと・・・東武の貨車は種類が多すぎるせいかまとまった記録が少ないですね。
東上線でも赤い荷電が活躍していました。
返信削除成増駅では短い貨物ホーム(荷物ホームと呼ぶべきかな)にしばらく停まっていました。
その後、クリーム色に変わり、いつのまにか姿を消しました。
三等急電さん
返信削除東上線の荷電は伊勢崎線とは違うモユニ1190形がいましたね。
こちらはなくなったのが78年頃で、当時は運用も分からず見ることができませんでした。
荷電のクリーム化は結構早く74年頃だったと思います。
はじめまして。
返信削除貴重な写真を何時も興味深く拝見しております。私は宇都宮線沿線の40代です。小さい頃のワクワクした東武が忘れられません。特に東武の貨物ですね。
ところで、お写真のモニ1473はモニ1475ではないでしょうか。北千住の写真を拝見するとパンタが浅草向きであることと、少々非貫通側の運転窓が離れ気味のところです。重箱の隅ですみません。
これからも貴重な写真を楽しみにしております。
ぶらんでーとTo-Bさん
返信削除訪問有難うございます。
また貴重なご指摘、重ねて有難うございます。修正して一部写真を差し替えてみました。
モニ1473をちょっと確認すれば分かるのに、「1475は逆光線の失敗コマしか撮れなかった」という思い込みに支配されていたせいかも知れません(苦笑)。しかしそれだけに1475をこれだけ記録していた、これは私にとって嬉しい誤算でした。
東武電車は趣味の原点で子どもの頃からの馴染みでしたが、あと5年早かったら32・54形を片っ端から撮れたのに、と今でも妄想してしまいます。拙い時代の記録ですが、また覗いて下されば幸いです。