▲南部縦貫鉄道 盛田牧場前 1988-9
「じゅうかん」は元祖レールバスが走る路線としてマスコミにしばしば登場したせいか、つとに有名で多くのファンが訪れました。しかし1日たった5往復、乗って撮ってとなると難敵です。
午前中で撤収して七戸からバスで十和田市へ抜け、十和田観光電鉄で三沢へ・・・というのがよくある定番コースでした。
1988年秋、3度目の今回は丸1日粘るべく、583系「はくつる」から野辺地に降り立ちました。
外は生憎と秋の長雨、モチベーションは急降下ですが、まずはお決まりの位置からファーストショットです。
野辺地の構内は広く、長い跨線橋がありました。
しかしJR線を渡り終えた途端、幅が半分しかない破目板むき出しの橋に変わります。
こうした構造は国鉄乗換え駅に良く見られましたが、上田交通(上田)、長野電鉄(屋代)、弘南鉄道(大鰐)など年季の入ったものも多くありました。
▲キハ102 いずれも野辺地 1988-9
ガツンガツンと脳天に響くジョイント音を堪能しながらも、降り続ける雨に沿線を歩く気力が湧かず、取り敢えず終点・七戸の一つ手前、盛田牧場前で降りることにしました。
▲盛田牧場前-七戸 1988-9
当線は1962年開業と新しい路線ながら、資金難から施設面では貧弱を極め、薄いバラストに腕木式信号機、土盛り・板張りのホーム、木造の簡素な停留所といった様相でした。
その後各停留所はトタン板で補強されましたが、この当時盛田牧場前だけは木造のままでした。
▲いずれも盛田牧場前 1988-9
乗って来たキハ102の折返し列車を野辺地方のアップダウンで狙います。
135㎜では物足りませんが、雨の中三脚と300㎜を広げる気力もなく、リベンジを期して妥協です。
何しろ本数が少ない上に周辺には何もなく、撮ってしまうとやることがありません。
雨足が弱まってきたので七戸まで歩くことにしました。
▲いずれも盛田牧場前-七戸 1988-9
七戸に休む旧国鉄キハ10のキハ104。1957年製でレールバスより先輩格です。
七戸の待合室で延々と次列車を待ちながら悶々とするうちに、空模様の如く士気もドンヨリ、午後の第1便で野辺地へ戻ることに。
せっかくだからと大湊線に乗って終点まで往復し、その途中で下北交通のキハをスナップしました。
やはり「じゅうかん」という存在、「乗って撮って」はかなりの難敵でした。
おはようございます。
返信削除縦貫鉄道も非電化私鉄ではかなり訪れた頻度の高い路線でした。
北海道のような雄大な景色と、遠くに見える八甲田山がとてもきれいだった事を思い出します。
めちゃくちゃ乗り心地の悪かったレールバスに比べてキハ104の乗り心地は信じられないほど良かった事を思い出します。
いまや縦貫鉄道があった頃はまだまだ安泰と言われていた十和田観光電鉄までもが廃止になって、この周辺から私鉄が全滅してしまったことが未だに信じられません。
因みに七戸駅から先未成線の跡もあるんですよ。200mほどは線路は引かれていたそうでしたが、残りは地盤のみ整備しただけで終わりました。
宵闇さん
返信削除「じゅうかん」は風光明媚な路線でしたね。
西千曳あたりの牧歌的な風景や雪晴れの八甲田山は私も印象に残っています。
レールバスの乗り心地は凄まじかったですが、今となっては貴重な体験でした。
七戸から先、線路が少し伸びていて古い貨車やキハ103が放置してあったのは覚えていますが、これが未成線の跡だったとは知りませんでした。
国際興業傘下で、そこそこ賑わっていた十和田観光までなくなるとは意外でしたが、経営は芳しくなかったのでしょうね。この当時は腰を据えて訪問しなかったのが悔やまれます。