2016年8月26日

叡電鞍馬線 深緑を行く

eizan-railway▲叡山電鉄デナ21 貴船口 1990-8

ポール時代に比べると若干不細工な改造を受けているとはいえ、まだまだ魅力的な叡山電鉄の「デナ」。四季折々の沿線風景も捨てがたく、デナに花を添えました。

1990年夏のこと、京阪京津線への道すがら寸暇を惜しんで訪問しました。
鞍馬にほど近い貴船口周辺に腰を据えます。
叡電
叡電
▲いずれも貴船口 1990-8
 
貴船口から二ノ瀬方面へ歩きます。山の緑はどこまでも深く、吸い込まれてしまいそうでした。
叡電
京福
デナ21
デナ21
デナ
▲いずれもニノ瀬-貴船口 1990-8

やはり当線は1日粘らないと時間が足りません。
二ノ瀬から市原まで歩くうち、早くもタイムリミットです。
デナ▲市原-二ノ瀬 1990-8

短時間ながら、最上級のグリーンシャワーを満喫できました。
デナ21▲二ノ瀬 1990-8

6 件のコメント:

  1. 叡電はポール時代に乗り鉄をし、優雅な窓を持つナデ20型に惚れ込みました。
    今度はじっくり撮影しようと考えていましたが、パンタ化時に改造された不細工な前面窓にショックを受けて優先順位が下がり、結局撮れずに終わってしまいました。

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  2. 三等急電さん

    阪神車を含めて、ポール時代のデナは最も見たかった車両の一つです。
    オリジナルの素晴らしい姿を知る方には、パンタ化改造後の姿は耐え難いものなのかも知れませんね。
    私はポール時代を知らないので、逆にあまり抵抗なく撮れたのだと思います。

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  3. 真夏の京都、大汗かいて収められた様子がうかがえます。
    デオ600の窓ですが、開口面積はそれほどでもないのですね。阪神電車の造作が垣間見える様です。
    その点ではデナの方が優れていたのかな?

    ところで恐れながら、撮影時点ではまだ京福の傘下ではないでしょうか?

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  4. 12号線さん

    若かったせいもあり、京都の酷暑をものともせず撮り歩いたのも懐かしい思い出です。
    頂いたコメントで初めて気付きましたが、デオ600の窓は確かに開口部分が小さいですね。
    目一杯開けているデナとは対照的です。
    記憶がおぼろですが、叡山電鉄への社名変更は86年で確かまだ京福の子会社だったと思います。

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  5. 一番最後の写真には車掌さんが写ってます。
    ワンマン電車ではなく、車掌さんが歩き回って切符を売っている方が、この線は似合います

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  6. maru-haどの

    やはり目の付け所が違いますね!
    叡電の車内券は小型の可愛らしいやつで、確か鞍馬の駅売りも同じだったと記憶しています。
    京福時代の車掌さんは詰襟の制服で、デナのレトロ感を引き立たせていたのを思い出しました。

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