▲高松琴平電鉄モハ23ほか 塩屋-房前 1989-2
「電車博物館」と称された琴電ですが、初訪問はひどく遅れて1985年になってからでした。憧れだった旧身延12000形や旧院電6000形といった強者には会えず仕舞い。
80年代後半、既に琴平線では京急旧600形・1000形や阪神ジェットカーたちがヌシ的存在になっており、生抜きの1000・3000・5000形の主戦場は志度・長尾両線へ移りつつありました。
▲モハ300 いずれも八栗 1989-2
1989年早春のこと、四国出張の機会がありチャンスとばかりに琴電をルートに入れました。
85年の初訪問以来でしたので仕事の荷物など二の次、これよりはるかに嵩む撮影機材を携えての出撃です。
さてヤボ用から解放された翌日、まずは春日川で下車。
早朝の時間帯に順光となる春日川橋梁で狙います。
早速やってきたのは3000形+旧山形交通860形のコンビ。
かなりのスピードで、1/500でもブレてしまいました。その後も20形2連、3000形2連と次々にやってきます。この鉄橋もコンクリート橋に架け替えられ、様相が一変してしまいました。
その後は有名な「房前の鼻」へ。
こちらも防潮壁が建設されて展望が利かなくなっています。
朝のラッシュが終わると今橋工場へ。旧南武と京急、窓の違いが際立ちます。
ラッシュ運用から戻ってきた20形や3000形も休んでいました。
▲いずれも今橋工場 1989-2
吊掛け車天国だった志度線ですが、旧名古屋市営の600形導入によって冷房化率100%を達成します。しかし、これに先立つ1994年、「コトデン瓦町ビル」工事に伴って本線から分断され孤立路線となってしまいました。そしてこの工事が経営破綻の引き金になったことは周知のとおりです。
こんにちは。
返信削除この時代の琴電は懐かしいですね。志度線を走る山交の860は初めて見ました。
ワタクシもこの旧型電車と四国ののんびりとした風景に魅了されてしまい、気が付いたら現地の友達も増えて第二の故郷と化してしまいました。
房前鼻のは防波板で覆われてしまいましたが、反対側の崖が切り崩されて、今では別の角度から撮影が出来ますね。
ちなみにそこは道の駅むれになっていて保存されている335や、美味しい地物の海の幸が食べられるレストランもありますよ。牡蠣飯は絶品です!
お勧めのスポットですよ!
宵闇さん
返信削除琴電は特に絶景を走る訳ではないですが、この志度線を含め全体的にノンビリとした雰囲気が良いですね。一方で場末のような片原町・瓦町の風景も捨てがたいです。
房前の現況や道の駅ができていることは初めて知りました。地形もこの頃と変わっているんですね。335の見学を兼ねて訪問してみたいです。