▲東武鉄道モハ5450形 館林検修区 1973-7
1960年代、戦前型東武の代名詞であった32・53・54系一派は、73・78系を凌駕する最大勢力でした。総勢230両強、ルーツは昭和2-4年系の代表選手デハ5形を始め、特急車デハ10形・総武鉄道買収車・省規格形・鋼体化車・国電戦災復旧車・・・・・と目が眩むくらい複雑怪奇です。
3000系列への更新がほぼ終わる1973年夏、佐野線には3編成6両の54系が残っていました。
しかし平日昼間に少し動く程度だったようで、毎日踏切を渡っていたにも拘らず走る姿を見た記憶はほとんどなく、カメラも持ち始めたばかりの頃でマトモな記録はできませんでした。
館林検修区に休む戦前の特急車・デハ10形改造のモハ5450形。
54系の前歴は多岐に亘るため、車体形状だけで形式を判別するのは困難でした。
モハ5473(←モハニ5473)。ブツ切れ写真ですが唯一車番が分かる画像です。
手前にいるモニ1470形はまだ一灯で赤色塗装でした。
▲いずれも館林検修区 1973-7
館林で発車待ちのクハ453(?)。
▲館林 1973-6
こちらも豆粒のようで恐縮ですが、唯一カラーで残っている画像です。
旧デハ10形のクハ400形と思われます。
以上でオシマイです。
・・・・ではあまりに物足りないので、同時期に写した佐野駅の点景でお茶を濁して締めます。
両毛線は東武線と同じく電車より貨物列車の方が多く発着し、専用ホームや多くの側線がありました。しかし広い構内を持つこの駅も橋上駅舎化され、貨物廃止後はJR2線、東武2線のみとなり現在は見る影もありません。
最後まで残った戦前型東武でしたが、73年秋頃には全て3050系に更新され終焉を迎えました。同じ頃、日光線・宇都宮線に僅かに残っていた53系もこの数か月後には3070系に更新されます。
差し出がましい行ないで恐縮ですが、「モハ5473の妻面」とされる運転台は以下にございますクハ458と同一ではないかと思われます。
返信削除http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/7318/spotmatic/tatebayasi/img/Tc458b1.jpg
と言うのもモハ5473を模型で作られた方がおられ、現車も片運転台であったのだろうと推測します。
http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d199634242
12号線さん
返信削除ご指摘ありがとうございます。謎が解けたような気がします。
5473の次のコマに写っていましたので思い込みで書いてしまいました。
少し詳しく調べてみたところ、他にも「モハ5473+クハ458のコンビを記録した」との記事を書いている方がおられました。458のガラスに僅かに写り込んでいる車両も気になっていたのですが、幌の形からしてクハ453かと思われます。453の相方は5450形(車番不詳)ですので、この日はここにモハ5473+クハ458とクハ453+モハ5450形が一列に停まっていたと想像できます。
そうすると画像1~2枚目にあります洗線にいるのがモハ5450形+クハ400形(いずれも車番不詳)と思われ、この頃在籍した全6両の合点がいきます。
まだ不明な部分もありますが、最後の6両について少し分かった気がします。
なおご指摘のようなコメントは大歓迎ですので、ご遠慮は無用です。
旧型は1段窓が32形、2段窓が54形という大まかな区別ができます。しかし、1段窓でも出力アップで54形になっているのもいて(逆のケースはない)、よく騙されますが、パンタで判別するのが一番確実なようです(EE製のパンタは32、日立のパンタは54)。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除私も昔は「32系は小型1段窓・54系は2段窓」という括りしか知らずに、アップしたモハ5473も何で54系?と不思議に思ったものです。EE製パンタ・制御機器を備えた32系の方が個人的には好きですが、32系も54系も形態が多すぎるので、これを網羅した記録写真集を作って欲しい・・・というのが今の私の切なる願いです(買う人余りいないかもしれませんね)。