▲弘南鉄道モハ3601・3613 平賀 1986-8
大鰐線で多彩なデンシャたちを堪能した翌日は弘南線へ転戦です。この頃の弘南線は東急3600系に席巻され、国電や社型は僅かに残るのみでした。
しかしここで「阪和」を見ないわけにはいきません。
この日は生憎の雨、どうも夏の東北行は長続きしない天候が恒例のようです。
大雨に降られた岩手開発鉄道 →→ こちら
秋雨に祟られた南部縦貫鉄道 →→ こちら
さて、弘前で出迎えてくれたのは、駿足で鳴らした旧阪和モヨ100形のクハ2025。
巨体のモヨにお目に掛かれるのも、高規格路線を有し、かつ急勾配に耐えうる電車が必要だった前の持主・松尾鉱業のお蔭といえます。
まずは平賀の車庫を一覗き。旧国鉄クハ16で唯一当線に残ったクハ1614や東急3600系を見て回りました。三井三池の発注車、ED301も入換用として健在でした。
クハ1614の行先標示。駅名に冠した「弘南・・・」が外された頃で、安直に消されています。
▲いずれも平賀 1986-8
今日は旧阪和クハ2025・2026が2両とも動いていました。
沿線で走行シーンを狙いたいところですが、露出が上がらない中、コダクロームや6×7判では高速シャッターが切れず平賀の片隅で構えて妥協です(それでもブレました・・・)。
▲いずれも平賀-柏農高校前 1986-8
回復の兆しのない空模様を恨めしく仰ぎながら黒石へ。黒石駅は現在と違って木造の上屋があり、お決まりの位置に昼寝中のED333、クハ化したばかりの元サハ1700がいました。
▲いずれも黒石 1986-8
丸2日に及ぶ弘南行は酷暑との格闘でしたが、釣果は十二分、反芻しながら次の目的地・小坂鉄道を訪問すべく奥羽本線の乗客となりました。
しかしその車中、阪和型を思い出しながら「素朴な疑問」が湧いてきてしまいました。
・・・・・その謎はまた次の機会に。
この時代の弘南に実際に触れることが出来なかったので、富士身延も阪和も羨ましい限りです。東急や省型に比べ、阪和型が高さ幅共に一回り大きく立派なのも、東急3600半鋼車のベコベコッぷりが遠目にも明らかなのが良く分かりますね。マルーンも艶やかで、市販Nゲージ完成品がカサカサに褪色した色が再現されてしまっているのは個人的にはとても残念です。
返信削除クハ2025、2026は電装解除後、一度貫通扉を埋め込まれていましたが、中間に入る機会が多くなったためか、この頃には復活していますね。電動車時代はパンタ側運転台でしたが、これを見ると逆転しているみたいですが…前照灯のレンズも特殊なカットだと思ったのですが、これは阪和時代からなのでしょうか?
雪うさぎさん
返信削除お久しぶりです。
阪和も富士身延も個性の強い素晴らしい電車でした。まだまだ撮り足りない気がしています。
最後に記しました「素朴な疑問」とはまさにクハ2026の貫通扉のことです。81年訪問時には不細工な非貫通で、3両編成の先頭にも就いていましたが、わざわざ貫通式に再改造してまで中間車に持ってくる・・・という手間のかかることをしたのは何故かなあと疑問に思っていました。
運転席はこの当時は両車とも黒石側にありましたが、電動車時代はいずれも弘前側でした。クハ化に当たって2025は運転機器を移設し、2026は180度転回したとの記事(異説もありますが、パンダ台位置が逆転しているので合っていると思います)を読んだことがあります。前照灯のガラスについては残念ながら分かりません。
模型での再現が今ひとつとは初めて聞きましたが、実物の塗装はきれいに整備されていたと記憶しています。唯一、東急3600半鋼車は若干くたびれていました感じがしました。
やっぱり阪和社形いいですね。
返信削除堂々としていて、他の車両が貧相に見えます。
元東急の青坊主との組み合わせもいいですね。
今から考えると行っときゃ良かったと思う私鉄電車でした。
ちなみにワタクシは弘南へは一度も行ったことがありません。
結局あんなに貴重だった旧型電車も、一両残らず解体されてしまったと思うと残念極まりないです。
宵闇さん
返信削除阪和型は他車より一回り大きく、初めて見たときはあまりの巨体に驚いてしまいました。社型で唯一、国鉄の制式番号を与えられたという話も頷けます。ただやはり大きすぎて使い勝手が悪かったのか、ラッシュ時以外で走っている姿はあまり見られませんでした。東急車との凸凹コンビはユーモラスで楽しかったですね。
現在の弘南鉄道も、これまた貴重品となってしまった非冷房7000系が唯一残る路線ですので、いかがでしょうか(吊り掛け車ではないですが・・・)。