▲ひたちなか海浜鉄道キハ2004+205 金上-中根 2015-10
かつて茨城交通には数多くの道産子DCが在籍しました。
1960年代から70年代始め、北海道の私鉄路線は立て続けに廃線になりますが、在来車の代替を企図していた茨城交通にはまさに渡りに船、羽幌炭鉱や留萌から次々に入線してきました。
長年主役の座に君臨してきた彼らですが、年波には勝てず櫛の歯が抜けるように徐々に離脱して行きます。
▲キハ222 那珂湊 2015-10
2015年秋、旧留萌鉄道最後の1両・キハ2004を見送るべく貸切運転会に参加。
「さよなら列車」のようなイベントは敬遠しがちですが、茨交時代以来の訪問でしたので敢えて参戦です。この日は旧国鉄のキハ205と編成を組む仕立てがされました。
▲いずれも金上-中根 2015-10
午前の2往復が終わるとこちらで昼食タイムです。
会社側の計らいで2月に引退した羽幌炭鉱最後の1両、キハ222が開放されました。
引退から半年が経ち外見はくたびれていますが、車内を見る限り今にも動き出しそうでした。
中根付近は些か食傷ギミながら、午後の半逆光が好ましく再度陣取りました。
間近で見たキハ2004は満身創痍の様相でした。
最後は一般列車と混結、これを那珂湊で見送って打ち止めとしました。
▲いずれも那珂湊 2015-10
道産子なき後は国鉄OBのキハ205が孤高の1両になりました。
かつて日本中に棲息した同系列も、気が付いてみれば当線・水島臨海・いすみ・小湊に残るだけになっています。このキハ2004はつい先日、はるばる九州へお輿入れして動態保存が決まった由、先ずはめでたい限りです。
2004は無事平成筑豊鉄道 金田駅に到着したようです。再び線路を走る日が楽しみです。
返信削除私にとって、キハ55の急行「はんだ」を思い浮かべます。
やまぐち号さん
返信削除てっきり2004もお陀仏になるかと思っていたので、動態保存はサプライズでした。長く活躍して欲しいですね。
キハ55の急行運用は見たことがありませんが、「はんだ」といえば運炭華やかなりし頃の日田彦山線ですね。キハ66が走っていたのを思い出します。
ひょっとして「ひかり」もご存知とか・・・?