2016年11月12日

1978年 北陸行 その3

▲福井鉄道モハ120形 福井駅前 1978-4

さて、引き続き福井鉄道を巡ります。
派手な広告塗装は頂けませんが、大型車が路面を闊歩するのは痛快です。車に邪魔物扱いされずに生き残れたのも、電車通り(フェニックス通り)が広かったお蔭かも知れません。
 ▲本町通り-公園口 1978-4

市役所前から駅前に分岐する通称「ヒゲ線」。この当時は複線で石畳も残っていました。
▲福井駅前 1978-4

駅前からこの200形に乗って西武生(現:北府)車庫へ。
貨物列車の廃止が近い頃で、旧遠州鉄道ED21形・デキ3のタンク列車がやって来ました。

こちらは名物のモハ160形。小型車を2両つなげて連接車化した珍車で、前面は食パン化されていますが側窓やベンチレータは統一されずに残されました。

奥には長野電鉄からやって来たばかりのモハ302がいました。この後名鉄モ900形とコンビを組む連接車・モハ140形(2代)に改造されますが、似ても似つかぬ姿になったのは周知のとおりです。
 
こちらは旧南海タマゴ型木造車を1956年に鋼体化した80形。
窓下部分には派手な広告塗装がされています。
▲いずれも西武生 1978-4

西武生から隘路を迷いながら武生新(現:越前武生)まで歩きます。
武生新には最古参・モハ20形が停車中でした。発車ベルを聞きながら慌てて撮影、「引き」もなくパンタ切れのお粗末写真に・・・一瞬の邂逅でしたが、モハ20形とはその後も会うチャンスはなく一期一会となってしまいました。
▲いずれも武生新 1978-4

福武線はこの後次々に新駅を開設し、電車も低床車へ一新されて在来車を放逐、更に最近のえちぜん鉄道との相互乗入れ・・・と目まぐるしく変化していきます。
・・・しつこくまだ続きます。
▲モハ160形と120形 西武生 1978-4

4 件のコメント:

  1. 福井は京福251~福鉄122,141~200とターゲットを換えながら良く通ったエリアですが、福鉄203が運用から落ちてしまったので足が向かなくなってしまいました。えち鉄も銀箱じゃない国鉄末期型電車と言うだけマシなんでしょうが。

    福武線の貨物列車は貴重な記録ですね。南越線はデキ1がタム5900とかを牽くのを良く見るのですが、福武線は末期は運転区間が短かった為か、ろくに記録されていない感じがします。長電300改め福鉄141は末期に良く行きました。扉位置の変更や前面Hゴムは残念でしたが、乗ってみると中々味わいのある電車でした。かつての長電の旧型車は、失われた銘板を手書きで再現しているのが面白いですね。

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  2. 高床式電車が福井の街中をゴロゴロ行く良い時代を撮りましたね。
    私が訪問した時は高床式は最後の2形式くらいでした。
    アップされた写真のカラーリングはいかにも福武線のよき時代で、その後目まぐるしく変わるカラーリングに感心を失っていました。

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  3. 雪うさぎさん

    私も京福251や福鉄141・200狙いで通い、同じく203離脱で急速に足が遠のいた一人です。特に福鉄203の末期はこれだけを標的に我ながらよく通ったものだと思います。京福の方はえちぜん鉄道に移ってからは駅舎は真っ白、電車も写欲がわかないですが、比島駅の風情などはそのままで乗って楽しみたい路線ですね。

    福武線の貨物はこの当時既に武生新~西武生間だけになっていましたが、訪問時はもちろんダイヤなどは分からず、車庫で教えてもらって偶然撮ったものです。南越線は鋼体化車の130が行ったり来たりで当時は関心が向かずスルーしてしまったのは残念です。立派な社武生の駅舎や、福武口の連絡通路も見たかったですし、デキ1・2+タキ1両の貨物が最後まで現役だったので今もって後悔しています。

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  4. katsuさん

    ありがとうございます。
    大型車が路面を行く姿を初めて見たのが福井でしたので、「デンシャのお通りだ」と言わんばかりの光景に新鮮というより痛快な感覚すら覚えました。これをきっかけに病みつきになり、最後の200形が引退するまで何度も通ってしまいました。

    福井鉄道の塗装と言うと私も「クリームと青」が一番似合っている気がします。写真でしか見たことがありませんが、鯖浦線や南越線にいた小型車にもしっくりきました。後年のクリーム基調は間延びした感じで今一つでしたが、それでも現在の塗色に比べればまともだったですね。

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