2016年11月3日

栃木駅点描

▲東武鉄道1720系「きぬ」 栃木 1978-1 

両毛線主要駅には1920-30年代の洋風建築の駅舎が残っていましたが、85年の桐生を皮切りに矢継ぎ早に橋上駅舎化や高架化が進みました。今回はそんな中から地上時代の東武線栃木駅の点景をお送りします。

この当時の東武線乗り場は、国鉄線を渡り切ったところに島式ホームが遠慮がちにあるだけの簡素な造りで、中間改札もありませんでした。

DRC特急は1本も停まらず、優等列車といえば6000系の快速急行くらいでとても接続駅とは思えません。相互の乗換えにはとてつもなく待たされたと記憶しています。
▲いずれも6000系「だいや」 栃木 1978-1

この頃は定期快速列車の殆どは6000系に変わり、波動輸送用となった5700系は団体や臨時列車に入ることが多くなりました。

 日光線・宇都宮線ローカルの78系。
荷電も通過です。
右端の鉄柱はかなりの年代物ですが刻印が「●●工業株式会社」しか読み取れませんでした。
▲いずれも栃木 1978-1

「地方駅の高架化+駅前通り拡幅=街全体の衰退」という魔の公式の実例をいくつも見てきましたが、ここ栃木は「蔵の町」を売りに再整備されたのが奏功して空洞化を免れました。尤も、あまりに整備されすぎた街並みは映画のセットのようではありますが。
▲5700系「だいや」 栃木 1975-10

4 件のコメント:

  1. 東武宇都宮行きの7870、東上線用の行き先サボフックがありますね。
    ところで、73・78は8000のような中ドア締め切りなんて機能あったのでしょうか?
    北関東の山おろし吹く区間で4つドア全開では冬季凍えてしまいますゆえ。

    返信削除
  2. 12号線さん

    サボの件は頂いたコメントで初めて気がつきました。東上線から転属してきたのでしょうか。東上線のパタパタ式のサボは伊勢崎・日光線系統と違って格好いいですが、両者で異なるのは興味深いところですね。

    ご指摘のとおり、佐野線・小泉線・桐生線や館林以北の伊勢崎線はまさに「赤城おろし」のお膝元で、冬季の寒さは尋常ではありませんでした。館林で発車待ちの3000系が各車1つだけドアを開けていたのを覚えていますが、73・78系は全開だったような気がします。

    返信削除
  3. 最寄りは首里駅2016年11月8日 13:09

    南口が開設される前の栃木駅ですね。懐かしいです。東武のホームは駅舎から一番遠くでしたが、列車の本数も乗客も両毛線より多くていつも賑わっていた印象があります。荷電は栃木15:08発の業平橋発東武日光行き8215レですね。東武日光で折り返して新栃木の検車区で停泊し、翌朝業平橋に向かうダイヤが組まれていました。

    57たびじの奥にみえる8トン移動機がいいです!国鉄の駅の西側に袋詰め石灰の積み込み場、東側に一般貨物の取り扱い所と移動機のネグラがありました。

    あと、どうでもいいことですが、駅東側の両毛線と東武にはさまれた土地にはかつて溜め池があり、そこで友人達とフナ釣りをするのが楽しみでした。78系が引退する頃に埋められてしまいましたが。

    返信削除
  4. 最寄りは首里駅さん

    地元ですね。今と違って特急は停まりませんでしたが、浅草・日光への観光客や宇都宮・新栃木・壬生などに通う通勤客で狭いながら東武線ホームは活気がありました。通学客が中心の両毛線とは違った雰囲気がありましたね。

    荷電の解説もありがとうございます。
    廃止間近の82年、板荷付近で撮影したのを思い出しました。夕暮れの時間帯で露出に苦労したのも良い思い出です。

    あとフナ釣りですが・・・海釣りに縁のない栃木県民にとって釣りと言えば川釣りですね。私も渡良瀬川で良くやりました。懐かしいです。

    返信削除

コメントはフリーでお受けしています。ただし管理人判断で削除することもありますのでご了承下さい。