定刻7:11、急行「越前」が福井に到着。
上野から延々10時間、現在なら屈伸運動でもするところですが、高校生にとって夜行列車の旅はそれ自体充分に魅力的で、疲れも退屈もしませんでした。
憧れだった北陸地方、先ず目指したのは京福電鉄。
広い国鉄駅構内を渡りきった外れに京福のホームがありました。
「えちぜん鉄道」となった現在は新幹線高架を間借りしJRとも分断されていますが、この頃は狭いながら電留線もあり、もちろん国鉄と線路がつながっていました。
早速車庫のある福井口へ向かいます。
こちらも現在は新幹線高架を利用、駅舎も高架下の狭苦しい仮駅になっていますが、当時は3面5線の旅客線と共に多くの側線を持つ広い構内でした。
1925年川崎製、ボンネットを左右に分割した中央にドアを配置、という独特の形状で富山地鉄や加越能鉄道にも仲間がいました。
▲いずれも福井口 1978-4
ここで後々まで禍根を残すポカをしでかします。
上のモハ281がいる辺りを福井口車庫と思い込み、奥にあった「本丸」の基地に気付かぬまま撤収。この当時はAEG製・旧国鉄EC40のテキ512が残っていましたが、ぐるりと見渡して「なんだ、いないや」とアッサリ引き下がってしまいました。
・・・なので国鉄に引き取られて復元されたテキ511でお茶を濁します。
▲国鉄10000→EC401→京福テキ511 軽井沢駅前 1974-3
ここまでの途中、車窓から見かけたテキ521形・531形を捕えるため、帰りは線路際を撮り歩きながら戻ることにしました。地上駅時代の福井は現在と違い、多くの貨物線・側線のある非常に広い構内を有していました。
・・・次回に続きます。
▲入換中のEF70。奥には京福電車 福井付近 1978-4
元小田急1000形はだいぶ車体に手を加えていますね。台車も取換えられたようだし、小田急の頃より見映えがよくなっています。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除小田急1000形は戦後あちこちに離散しましたが、熊本電鉄301形と共に京福のは格好いいですね。相鉄時代に外板の張り替えや3両固定化(中間車のサハ化)などが行われたようですが、窓やドアは不揃いのままというところがまた惹かれるところです。