2016年12月13日

仙台の市電 その1

▲仙台市交通局116 仙台駅前 1976-3

仙台市電がなくなると聞いたのは1976年早春、廃止1か月前のこと。
この時代、鉄道誌に登場する私鉄の記事といえば何か月も経ってからの「後情報」ばかりで、実戦に使える「ニュース」と呼べるものは多くありませんでした。
▲583系「はくつる」 上野 1976-3

むしろ、豆粒のように小さく扱われた読者コーナーに活きの良い情報が潜んでいて、今回も「廃止の記念乗車券が発行される・・・」との投稿で初めて廃止そのものを知った次第。「廃止を聞いてから慌てて出掛ける」のは不本意ながら、優先順位は上げざるを得ません。

丁度、栗原電鉄初訪問を兼ねて・・・と画策していた折、機を逃すまいと夜行急行「いわて3号」に乗車です。東北線交流区間は初上陸、ED75や上り「八甲田」などを押えます。

▲いずれも仙台 1976-3

薄明の仙台駅前をウロチョロしながら市電が動き出すのを待っていると、突然モハ100形116が姿を現しました。9系統は仙石線・陸前原ノ町駅前まで乗り入れていた路線です。

駅前停留所まで追い掛けました。
モハ100形は戦後間もなく登場した初のボギー車。廃止後も5両が長崎電軌へ嫁ぎ、現在もイベント用に1両が健在です。
▲いずれも仙台駅前 1976-3

当時の路線は全長約15キロ、仙台駅前を中心に据えた「循環線」から3支線が分岐し経路の異なる複雑な系統が設定されていました。
・・・次回に続きます。
▲仙台駅前 1976-3

2 件のコメント:

  1. 廃止の頃は路面電車にそれほど入れ込んでいなかったため仙台市電を訪れることはありませんでした。
    廃止の翌年、長崎でモハ100形の譲渡車を見かけました。

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  2. 三等急電さん

    たまたま栗原電鉄や福島交通、交流電機を見に行きたいと画策していた時期と重なりました。
    私も路面電車のウエイトは余り大きくないのですが、雑誌で100形・200形ツーマン時代の洗練されたデザインを見てからというもの、仙台だけは別格になりました。

    長崎へ行った100形は仙台時代そのままでしたね。
    私も80年代に一度だけ乗りましたが、まだ5両全車が第一線で動いていました。

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