2017年1月29日

ストーブ列車 スカを食らう

▲津軽鉄道 金木 2014-12


2014年12月のこと、弘南鉄道のラッセル訓練運転(→こちら)を訪問後、せっかくの遠征だからと更に1泊して津軽鉄道まで足を延ばすことにしました。
早起きはキツイですが本数の少ない五能線に乗るべく弘前から出発です。
▲五能線 五所川原 2014-12

五所川原に降り立つのは20年ぶりですが、風情は変わっていないようでした。
津軽鉄道と五能線は駅舎は別々でも改札を通ると同じ空間、という構造もそのままです。

側線には旧西武のナハ1200形やキハ22が荒れた状態で置かれていました。
一方今や珍しくなったトム・タムはイベント用として稼働中で、昨年も動きました。
津軽鉄道
▲いずれも津軽五所川原 2014-12

さて時刻表を見ると、客レの前にDC牽引のストーブ列車のスジがあり、津軽飯詰で下車。津軽飯詰は元交換駅ですが今は無人化され、転轍機が錆びたまま置かれていました。
▲津軽飯詰 2014-12
 
しかし物凄い地吹雪で体感温度は-10℃くらい、とても長居できません。
まあ「露払い」だからと早々に引き揚げ、本命を撮るべく金木まで移動です。
津軽鉄道▲津軽飯詰-毘沙門 2014-12

・・・・が!!
金木の待合室には非情な貼紙が。
「機関車点検中のため、本日のストーブ列車は気動車牽引となります云々・・・」
窓口氏に確認するも「機関車の調子が悪くて」と事もなげに。
▲いずれも嘉瀬-金木 2014-12

気を取り直してDC牽引列車を撮るべく構えます。
しかし、ここでも壮絶な地吹雪に襲われました。客車の尻ばかりでは撮り続ける気力も加速度的に萎えてしまい、午後のストーブ列車に乗って引き揚げることにしました。
▲いずれも金木 2014-12

五所川原駅前から青森行の弘南バスに乗車、何とも消化不良のまま帰途につきます。
しかし、山深い隘路を走っては小さい集落が出現、を繰り返すバスの車窓は意外に楽しめました。
雪は深くなるばかり、スリップしっ放しですが運転手は慣れっこなのでしょう、お構いなしですっ飛ばすのでアトラクションに乗っているようでした。
▲津軽五所川原 2014-12

2017年1月27日

桜の弥生台駅

▲相模鉄道クハ7508ほか 弥生台 1988-4

厳しい寒さが続きますが、本日は若干暖かくなりそうな?画像をお送りします。

相鉄線弥生台駅の上下ホームには桜が植えられ、時季になると歩道橋から手軽にスナップすることができました。
この頃はホーム上屋も一部しかなく高台から全体を見晴らすことができましたが、現在はスッポリと屋根に覆われています。
▲いずれも弥生台 1988-4

最大勢力だった6000系や5000系列もいつの間にか消え、最新鋭だった7000系すら今や絶滅危惧種になってしまいましたね。
▲二俣川 1984-10

2017年1月24日

東武佐野線あちらこちら

▲東武鉄道3050系 田島-佐野市 1974-6

「デンシャ」にレンズを向けたのは、40年以上前の東武佐野線が最初でした。
この時代の愛用フィルムは「フジカラーN100」。一番安かった製品ですが、改めて当時のネガを見返してみると、思いのほか変退色が少ないことに気が付きました。

▲富士フィルム公式HPから

むしろこの後に発売される「F-Ⅱ」や「HR」など、新製品の方がはるかに劣化が進んでいます。ちょうど普及し始めたミニラボのガサツな現像処理も拍車をかけたのでしょうか。
▲補正なしのスキャン元画像

▲画像ソフトで何とか修復 渡瀬-田島 1974-9

愛用と言っても小中学生の小遣いではやはり高価、「一コマいくら」で撮らざるを得ません。
当然のように傍にいた3050系や電機、そして雑多な貨車。あまりにも身近すぎてきちんとした記録が少ないのは後悔しきりですが、本日は自転車で撮り回った駄作スナップからお送りします。
▲佐野-堀米 1974-6

▲渡瀬-田島 1974-9

▲佐野 1974-6

▲館林-渡瀬 1974-5

▲佐野市 1974-10

▲佐野市-佐野 1974-5 
  
一方モノクロの定番は「ネオパンSS」と「SSS」。
田舎の写真屋にはコダック製品は置いていませんでした。
▲佐野市 1973-12

▲いずれも佐野市 1974-6

1973年当時の葛生駅。
旅客線は1面1線しかありませんが、広大な構内には電機や多彩な貨車がひしめいていました。
▲いずれも葛生 1973-6

当然すぎて気に留めなかった風景、しかしそれが当然でなくなる日は必ずやって来ます。
最近はこれがやたら早く去来するようになった・・・と改めて感じる管理人です。

1973-74年の東武佐野線 →→ こちら
1974年の葛生 →→ こちら

▲葛生 1974-10

2017年1月20日

「くりでん」電車時代 その3

▲栗原電鉄ED351 石越 1976-3

ピンボケヤシカでめぐる1976年東北行、仙台市電に続いては栗原電鉄です。

仙台市電 →→ その1 / その2

1線突込みの石越駅の佇まいには驚きましたが、初対面のM153、ローカル私鉄にしては随分と大人しいスタイルに見えました。これに乗って若柳の車庫を目指します。
▲いずれも石越 1976-3

当時の塗色はグリーンとクリーム、前面の塗り分けも直線でした。1977年に西武からM17形(旧省電モハ50形)が転入すると同時に赤+クリームに変わります。

電機の方は何とも形容し難いブルー?一色。この日はガニ股電機ED20形は全機昼寝中で、旧東武日光軌道線・ED611のED351が動いていました。
 
巨大パンタが降りているのが残念ですが、ED20形のサイドビューと前面。
1955年の改軌に併せて、軽便規格の車体を強引に1067㎜仕様にした異様な風体、このアンバランスが堪りません。
 
西武の木造車を鋼体化したM181。この車だけは金太郎塗りでした。
▲いずれも若柳 1976-3

石越にはラッシュ用のC15が留置中。
後年は単行ばかりになって役割がなくなりますが、最後まで籍がありました。

旧武蔵野の木造ワフ。この頃は手入れも行き届いていました。
DBを名乗る移動機も機関車と同色です。
▲いずれも石越 1976-3
 
さてこれだけ撮るとUターンして今度は福島方面へ向かいます。岩手県境近くまでやってきて勿体ない話ですが、初の東北遠征で見たいものが山ほどありました。

まずはこちら、福島交通。
現在のホームは阿武隈急行と同居して狭苦しくなっていますが、この頃は上屋もなく開放的でした。やって来たのは当時の最新鋭ながら吊り掛け車の5300形。昇圧後は栗原電鉄へ移籍します。
 
5100形は斬新なデザインながらこちらも吊り掛け式です。
▲いずれも福島 1976-3
 
隣の曽根田まで乗ってみるも車庫内はガランドウ、1両もいません・・・この半年前に桜水に移転していたことや最古参・1200形の存在など知る由もなく、悄然と引き返してきました。

福島からは更に郡山を目指します。ED71が発車待ちでした。
▲福島 1976-3

郡山での目当てはこちら、磐越西線の主力ED77。
この頃の磐越西線の普通列車は客レばかりでした。
▲郡山 1976-3

1980年代の訪問記 →→ その1(細倉周辺) / その2(沢辺周辺)

▲M152 石越 1976-3