2017年2月28日

バケットカーと古典客車 その2

▲別府鉄道ハフ5 別府港 1980-9

機械式DCや2軸客車の楽園だった三岐鉄道が電化したのは1954年。
大量に余剰となったこれら戦前派は各地へ離散しますが、その中で最後まで残ったのが別府鉄道の車両たちでした。

さて、機関区の後は走行風景を狙いたいところですが、野口線が9往復、土山線に至っては4往復しかなく、2路線の合流地点に腰を据えるしかありません。
▲別府港-別府口 1980-9

先ずは別府港構内の外れから土山線を狙います。
休日のせいか貨車の連結はなく、DD502+ハフ5の編成でした。
▲いずれも別府港-中野 1980-9

続いて同じ位置で野口線のキハ2。どうにも殺風景ですが、元来多木化学の専用線みたいなものですから景色には目をつぶるしかありません。
▲いずれも別府港-別府口 1980-9

土山線の折返し列車がタイミングよくやって来ます。本数の割には短時間で3本見ることができました。
▲いずれも別府港-中野 1980-9

もう少し粘ろうかと思いましたが、ハフに乗ってみたい誘惑に勝てずこれで撤収、折返しの土山行最終列車に乗車です。ホームからではなく、一旦線路に降りてからヨッコラショと乗り込みました。
▲いずれも別府港 1980-9

乗客は自分も含め4人。ガツンガツンと脳天に響く2軸の律動は、南部縦貫のそれと同じでした。
▲ハフ5車内 1980-9

4キロの旅はあっという間です。到着するとすぐに入換が始まりました。
▲土山 1980-9

1984年の国鉄貨物合理化によって多くの私鉄が廃線の憂き目に遭いますが、こちらも例外ではなく同年1月に全線廃止に。しかしそれ以前から、貨物営業もなく空気を運ぶだけの野口線、2軸客車をカブース代わりに走らせる土山線、そして両線とも車掌が乗務・・・今もって信じ難い路線でした。
▲別府港 1980-9

2017年2月25日

バケットカーと古典客車 その1

▲別府鉄道キハ2・ハフ5  別府港 1980-9

別府鉄道は昭和30年代にタイムスリップしたかのような、時代離れした路線でした。
1980年夏のこと、初めての九州行きの道中、最優先でルートに入れたのは言うまでもありません。
▲ハフ5 別府港 1980-9

まずは野口線に乗るべく加古川へ。加古川線名物、キハユニ15が最後の活躍をしていました。
▲キハユニ15-9(と思われる) 加古川 1980-9


さて目指す野口はここから高砂線(84年廃止)に乗ってすぐ隣ですが、島式ホーム1本だけの無人駅でした。反対側にいた旧三岐のバケットカー・キハ2に乗るや否や発車、高砂線キハ35と並走です。

客は自分一人だけでした。
車掌さんから車内券を買ったり機械式の運転操作に目を凝らしているうちに、別府港に到着です。別府港は掘立小屋のような駅舎ながら構内は広く、機関区もありました。
▲いずれも別府港 1980-9

機関区を覗くと、もう1両のバケットカー・旧佐久鉄道(→三岐)のキハ3がいました。
こちらは旧神中鉄道のガソリンカーを客車化したハフ5。十字の窓桟が特徴的です。
木造の機関庫には旧倉敷市のロッド式DC302、片上鉄道からやってきた旧国鉄キハ04のキハ101らがいました。
▲いずれも別府港機関区 1980-9

さて、目玉であるはずの旧神中オープンデッキ・ハフ7の姿が見当たりません。
事務所で聞くと「屋根が雨漏りしちゃって」とのこと。キャンバスの張り替え修理中で庫の一番奥にいるようでした。
・・・・次回に続きます。
▲別府港 1980-9

2017年2月21日

琴電琴平線 2013年

▲高松琴平電鉄300+23 羽間-榎井 2013-11

多彩な電車に惹かれて何度か通った琴電ですが、1000・3000・5000といった戦前派ばかりに目が行ってしまい、いつの間にやら志度・長尾線偏重になっていました。

一方で琴平線はというと、既に主役が旧京急車や阪神ジェットカーに替わっていたせいもあって、仏生山車庫で昼寝している姿をスナップしてオシマイ、ついぞ乗らないまま時間が過ぎてしまいます。
▲琴電最後の自社発注車・1010形 仏生山 1985-5
 
▲こちらは現在も在籍中の名物デカ 仏生山 1985-5
 
▲阪神ジェットカーの車体を載せた1060形 仏生山 1985-5
 
そんな訳で初乗車なったのは2013年秋、観光旅行の道すがらのこと。復元された300+23編成が「うどん県」PR電車として走るというので、強引にルートに組み入れました。

先ずは発車前の仏生山車庫を覗きます。茶色(個人的にツートンが好みですが・・・)になった300が待機中。製造当初の楕円窓も復元されています。
▲仏生山 2013-11

生憎の雨模様ながら沿線へ転戦、陣取ったのは羽間-榎井間の土器川橋梁。
石積の橋脚は開通時からのもので「近代化産業遺産」に指定されています。合間にやってくる旧京急車や京王車も捕まえます。
▲いずれも羽間-榎井 2013-11

せっかく来たから、と合間に讃岐うどんの店をハシゴなどしているうちに、折返し列車の時間です。雨は止む気配がなく、仕方なく同じ場所で構えます。
▲重いモーター音を唸らせてやって来ました
 
▲結局、往路とほぼ同アングルです
  
▲榎井駅に近い「むさし」のカレー南蛮、絶品でした

帰りはこれまた「近代化・・・」に指定された滝宮駅。派手なペイントは微妙ですが、特徴的な意匠の駅舎が健在です。
▲いずれも滝宮 2013-11

最後はこんぴらさん参拝の帰りに琴平でスナップ。
天候といい集中して撮影できなかったことといい、ちょっと消化不良ながら久々に堪能した吊り掛けサウンドでした。
▲いずれも琴電琴平 2013-11

2017年2月17日

秋の津軽鉄道

▲津軽鉄道キハ24023 嘉瀬 1988-9

「ストーブ列車」が観光資源として定着した津軽鉄道。
南部縦貫、弘南鉄道と回ってきた1988年東北私鉄巡りの終盤戦、早朝の芦野公園に降り立ちました。田園風景が映える秋に来たのは初めてです。

乗って来たのは国鉄キハ20形に準じた自社発注車、キハ24000形です。
▲キハ24023 芦野公園 1988-9

清冽な空気を目一杯吸い込みながら、畦道を川倉まで歩きます。
既に刈入れの時期を迎えていました。
▲いずれも芦野公園-川倉 1988-9

旧国鉄キハ11のキハ240025・240026も活躍中でした。
転入車ながら、自社発注のキハ24000と同形式を名乗っています。キハ22はまだ入線していない時代でした。
▲芦野公園-川倉 1988-9

川倉周辺は広大な田園風景が広がる純日本的な風景です。
車体前面の派手な看板はビミョーですが、折返しごとに付け替えているようでした。
▲芦野公園-川倉 1988-9
 
▲いずれも川倉-大沢内 1988-9

嘉瀬まで戻り、金木寄りの築堤を狙います。勾配を一気に駆け上がってきました。
▲嘉瀬-金木 1988-9

同じ場所でちょっと演出。広角レンズにPLフィルターを装着して空を強調します。
デジタル処理など考えられない時代、よく使った手法でした。
▲嘉瀬-金木 1988-9
 
嘉瀬は一人勤務の女性駅長がおり、花壇が丁寧に整備された、ほっとするような駅でした。現在は無人化されてしまっています。

▲いずれも嘉瀬 1988-9

日が傾く頃、五所川原に戻ります。
▲いずれも五所川原 1988-9
 
客車列車には会えない旅でしたが、国鉄型DCと、それに何より沿線風景を再発見できたことは大きな釣果でした。DCたちが消えた後は疎遠になってしまい、この冬こそストーブ列車を・・・・と毎回決意だけはする昨今です。
▲嘉瀬-金木 1988-9