▲叡山電鉄デオ202 二ノ瀬 1988-1
「デナ」と沿線風景に惹かれて何度か通った叡電、この時は氷雨の降る寒い日でした。
出町柳の佇まいは変わりませんが、待っていたのはデナから更新されたばかりのデオ710、ちょっと残念です。
取り敢えず鞍馬まで往復するも、雨と寒さで沿線を歩く気力も萎えてきます。単行のデオ200形が行ったり来たりにも飽き始め、諦めて修学院車庫を覗くことにしました。
事務所のノートに名前を書いてスナップしていると、受付にいた方が近づいてきました。
・・・とここで「どれが撮りたいのかな?こいつ(デナ122+124)は検査中だからダメだけど、他のなら動かすよ」と信じられない言葉です。
眠ったように鎮座していた2編成が次々にパンタを上げて、動き出しました。
車内に入らせてもらったり、隅にいたデオ201のパンタも上げて貰ったりと、信じられない計らいに恐縮するしかありません。こちらは6×7版に三脚を括り付けたまま右往左往、もう寒さなどすっかり忘れていました。
▲いずれも修学院 1988-1
突然の訪問にも拘らず、車庫内の電車を動かしてもらうなどという体験、そうできるものではない・・・ハズですが実はこれで2回目。しかも、前回もここ修学院でした。
これより遡ること1981年、鉄研の九州合宿への道中のこと。
当時、関西圏には全くの無知蒙昧であった私は「京福を皮切りに、京都の私鉄総なめで行く」というchitetsuさんのプランに便乗・・・そして最初の訪問地であった叡電でサプライズが起きました。
顛末はchitetsuさんのこちらの記事をどうぞ →→ 「感動した叡電の修学院車庫訪問」
冷たい雨が蕭々と降るばかりの一日でしたが、2度目の感動を反芻しながら次の目的地・和歌山へ向かいました。
まだまだデナ21たちが活躍していたときですね。
返信削除車両の引き出しなんか今では考えられないようないい時代でしたね。
今はきらら号が観光客に人気ですが当時このような電車が走るとは
想像もできませんでした。
身近に乗車したデナ21たちですが家には122号の楕円プレートが
鎮座しております。
夢鉄道さん
返信削除この頃は1編成がデオ710形に更新されており、デナの活躍ももう長くないな・・・と思ったものですが、90年代まで命脈を保ったのでこの後も何度か訪問することができました。
電車を動かしてもらえたのは後にも先にもここだけですが、訪問者が少なく現場にも余裕があったのでしょうね。撮影する側も会社に敬意を持って接していたと思います。
デナの銘板お持ちとは羨ましい限りです!
磨き出された金色の楕円プレートは京福電車の魅力の一つですね。
ありゃ、二回も電車動かしてもらったんですね!
返信削除あの時の職員さんの暖かな対応は忘れられませんね。
chitetsuさん
返信削除ちゃっかり2度目もお願いしちゃいました(笑)!
当然のように「動かすよ」と言って下さった職員さんの表情は未だに忘れられないです。
お陰でデナを35ミリ・67・リバーサルとしっかり記録できましたが、もうこんな経験できないでしょうね。