▲秩父鉄道デキ7 熊谷 1976-7
再開第一弾は40年前のネガからお送りします。
++++++++++++++++++++++++++++++
1976年7月31日、秩父のEE機・デキ7が引退の日を迎えました。
当時としては珍しい電車を牽引したさよなら列車が走るという情報を聞きつけて、熊谷へ。
ホームから様子を窺うと職員や地元団体有志が出発式の準備中でした。といっても切迫感はなく、至ってゆるゆると進めているようです。
派手な飾り付けやペイントのない、好ましい風体になりました。いよいよ出発です。
▲いずれも熊谷 1976-7
現在なら追いかけるところですが、発車を見送った後は高崎に向かいます。
目的はこちら、新製間もない上信電鉄1000系の実見でした。
ほんの小1時間ですが、その間も色々な列車を眺められるのが高崎の魅力です。
折返し列車の時間に合わせて熊谷へ舞い戻ってきました。
安直極まりないですが、往路を見送った同じ場所で待ち受けます。
見物人は少なく、終始ノンビリした雰囲気の中、ロープも張られず構内を歩き回るのも自由。俄かファンでごった返す現在のイベントのような殺伐さもありませんでした。
▲いずれも熊谷 1976-7
この列車は熊谷-三峰口間の運転でしたが、途中影森から貨物列車に「変身」した由、思ったより粋な仕立てだったと後で知りました。
▲熊谷 1976-7
RF誌でもさよなら列車の記事出ていましたが、このようにカラー写真で拝見するのは初めてとなります。
返信削除EE系機関車の塗装は青系にはならなかったようですね。
けん引車両は100形の方がふさわしくも思えますが、収容力から500系とされたのでしょうか?
12号線さん
返信削除早速のコメント有難うございます。
途中から貨物列車になった、というのは私もRFの記事で初めて知り、ならば後発電車で追い掛ければ良かったと後悔してしまいました。
電機の青色化は78年頃だったのでEEには間に合いませんでしたが、西武の赤や近江のグレーなどを見ると青色も似合いそうですね。
牽引される電車もデハ100形なら文句なしでしたが、一般客を乗せるため当時最新の500形にしたのだと思います。6両編成というのも前代未聞でしたね。