長野の地を初めて踏んだのは1974年の春休み、小学校の「卒業旅行」のことでした。
尤も、当時はそんな小洒落た言い方はなく、徒党を組んで撮り回ってきた同級生らと、散り散りになってしまう前に遠出しておこうという算段でした。
▲高崎 1974-3
という訳で東武線始発列車で伊勢崎経由、まずは高崎へ。
行きがけの駄賃というには今は勿体ないですが、目に入った列車をスナップです。115系冷房車は登場したばかりでした。
▲いずれも高崎 1974-3
この日は急行「妙高」を奮発、初めての車窓の興奮冷めやらぬうちに長野県入りです。
まずは軽井沢で下車、目的はEF63と特急の連結シーンでした。
181系「あさま」を連結していざ碓氷を下ります。
▲いずれも軽井沢 1974-3
京福から里帰りした10000(→EC401→京福テキ511)も見物しています。
次は上田へ。目的はもちろん別所線ですが、真田傍陽線の廃線から2年、こちらも存廃問題が俎上に上がっていた頃でした。
子どもの訪問者は珍しかったのでしょうか、カメラを向けていると駅員さんが話しかけてきました。二言三言交わしてから「ちょっと待ってな」と一旦引っ込んで、今度は着札やら記念切符やらを持ってきてくれました。
▲駅員さんからのプレゼントです
さて、散々寄り道してようやく長野へ到着です。既に正午を回っていました。
先ずはこちら、地上時代の長電長野駅。ちょうど地下化工事が始まろうとしていました。
▲いずれも長野 1974-3
これだけスナップすると踵を返して次は国鉄特急。
初見参の381系も新鮮でしたが、ここでしか見られない「しなの」と「白山」の顔合わせを狙います。
日帰りの貧乏旅ですから、一カ所に長居はできません。
入場券やDJスタンプなどをそそくさと集めると、急いで上り列車に乗車、目指すは屋代です。
屋代での目的はもちろんこちら、長電河東線(→屋代線)。
碌に記録できないうちに引退してしまった、デッカーこと旧東武デハ3形のモハ411がポツンと停まっていました。
まだ貨物が走っていた頃で、定山渓からやってきたED5102が待機中です。
さて既に陽が傾いて、そろそろタイムアップですがまだ粘ります。
最後は小諸で下車。入場券やスタンプ集めで半端な時間を潰したのだと思いますが、この時はわざわざ「小諸懐古園」まで往復、保管されていたC56144を撮っています。
▲小諸懐古園 1974-3
こうして小学生最後の旅も終了、再び碓氷を越えて帰途につきます。
この峠の鉄路自体が消えることになろうとは、当時は夢にも思いませんでした。
小学生でよくこれだけ回りましたね。写真もしっかり撮れています。軽井沢でこれだけの積雪は珍しいのでは。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除ありがとうございます。
何の予備知識もなく、時刻表でアタリだけ付けておいて少しでも多く訪問しようという魂胆でした(苦笑)。コマ数の制限はありますが、目についたものを片っ端から撮ったという感じです。
この日は3月も終わりの頃でしたが、碓氷を越えた途端に積雪があって驚いたのを今でも覚えています。
あさまでEF63と連結されるのは、スカートのタイフォンカバーからするに後に九州へ赴くクハ180-5ですね。
返信削除疲れた表情が多い151系編入車とは違い、クハ181-108共々きれいな外装を保っていました。
12号線さん
返信削除ご指摘ありがとうございます。
このクハが上越新幹線開業後も残り九州へ渡ったクハ481だとは知りませんでした。就役当初は赤帯付きで異彩を放っていましたね。
「あさま」の181系はこの翌年に「そよかぜ」共々189系に替わってしまい、あまり記録できなかったのは残念なところです。