▲小田急電鉄クハ2451 新宿 1977-5
1970年代、中古ヤシカ片手に首都圏へ向かうと、次々に上ってくる夜行列車や特急を狙って上野・東京両駅を何度も往復するのが定番でした。そしてこれらが落ち着き始める昼頃から山手線をぐるりと回り、私鉄接続駅巡りをするのもまたお決まりのコースでした。
着線ホームからアップで撮ったお気楽な写真ばかりですが、改めて見直してみると40年前のターミナルの記録と言えなくもありません。物足りないボリュームながら、リハビリ運転を兼ねてシリーズでお送りしたいと思います。
最初はこちら、小田急新宿駅です。
発着する電車は2400・4000系列が主役、ロマンスカーはSE車やNSE車だけでした。しかし現在の二層構造は古くからあったせいか、全体的な雰囲気はあまり変わっていない気がします。
こちらは少し時代が下って、77年の姿。
10両編成に対応した大改良工事のせいでしょうか、線路の付替えの直中でした。
この頃の最新鋭は9000系。本形式を境に、長年親しまれた「小田急顔」に変化が生じていきます。
国鉄線ホームから見える、グリーン車マークの大窓も増床工事のおかげかその数増やしましたね。
返信削除9000系を撮られた翌年に千代田線乗り入れ開始となりましたが、日中は小田急線乗り入れ無く同系も綾瀬と代々木上原の往復に徹していた感ございます。
ご体調が快復されてこられて何よりです。
返信削除SE車は1983年に一度だけ江の島へ行くの乗車しました。
小田急ガールと一緒に写真を撮った懐かしい思い出です。
12号線さん
返信削除早速のコメント有難うございます。
このグリーン車マークの窓はずっと変わっていないですね。
小学生時代、初めて新宿駅に降り立った時、この窓越しに見えたSE車に心ときめいたのを今でも憶えています。ホーム延長に合わせてわざわざ増やしたとは知りませんでした。
千代田線乗入れ当初は、代々木上原止まりばかりでしたね。
この2年後、鉄研の部会等で生田へしばしば往復することになりましたが、たまに本厚木行が来ると喜んだりしました。
夢鉄道さん
返信削除ありがとうございます。引き続き宜しくお願い致します。
SE車に乗られたとは羨ましい限りです。
幾度となく眼にしてきたロマンスカーですが、乗ったのは社会人になってしばらくしてからで、SE車には間にいませんでした。
最近は世代交代が進んで、「赤いロマンスカ-」も風前の灯ですね。
地下ホームが使用停止になって、地上の3線だけで特急から各停までを捌いていた時代ですね。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除ご指摘ありがとうございます。
2層構造は64年からあるのに、なぜ各停が上層にいるのか不思議に思っていましたが、下層階は使用停止中だったんですね。地上の3線だけで全部を捌くのはさぞかし大変だったでしょうね。
2200や2400の写真に写る種別幕の「↑」が懐かしいです。
返信削除子供の頃、あの「↑」が各停のマークだと、友人とともに信じてました。
この頃、西口地下改札を抜けるとヤタラとだだっ広い廊下が続いていたのを不思議に思っていました。
それが埋められた複線と対向ホームの跡だと知ったのは、新地下ホームが開業してからでした。
はぢめさん
返信削除種別幕の「↑」はご指摘で初めて気が付きました。
調べてみると当時は「各停」の表示をしない替わりに上り下りの意味で矢印を出していたんですね。
新宿駅は早くも64年に2層化にしたはいいものの、乗客増に対応できず10年と経たずして更なる大工事をせざるを得なくなったという歴史も興味深いです。