1975年冬休みのこと、終焉迫った東京口の20系をメインに上京した道中、入場券を買って京急品川駅に初めて入ってみました。電車も街中もすっかり様変わりしてしまった現在ですが、駅構造自体はほとんど変化がありません。恐らくこの40年で最も変わっていない私鉄ターミナルではないかと思います。
主力はもちろんこちら、「特急」のサインも凛々しいデハ1000形です。2000形は勿論、800形もデビュー前でした。
非冷房・4ドアで「鉄の棺桶」という有難くない渾名を拝命したデハ700形。
ローカル運用のデハ400形。
▲品川 1975-7
こちらは京浜川崎まで乗り入れていた都営5000形。京急車の陰に隠れて目立たない存在でした。
折りしも名車・230形が空港線で最後の活躍をしていた頃でした。しかし当時はその存在すら知らぬまま引き返してしまい、後々の禍根を残すことになりました。
シュリーレン台車が奏でるブレーキ動作音など、どことなく関西私鉄臭ある都5000系でした。
返信削除ところで現行の5300も置き換え対象なのだとか。次車は塗装やめて銀の地肌を見せるのでしょうか?
12号線さん
返信削除5000形は個性の強い京急車に比べて大人しいスタイルだったせいか、あまり記録していないのは悔やまれるところです。新参者だと思っていた5300形の引退が囁かれるとは、時代を感じさせますね。5500形の登場は楽しみですが、最近の新車を見ると凝った塗装は期待できそうにないかもですね。
個人的にはシュリーレン台車が好きなのですが、都営5000形は高速の伸びが今ひとつでした。外部塗色より扉の内側が薄紫だったことが、強く印象に残っています。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除せっかくのシュリーレン台車も、制御・駆動装置との相性で生かし切れなかったみたいですね。
学生時代に沿線に住んでいたこともあって川崎行の急行に乗る機会が多かったのですが、ぜいぜい言いながら走っている感じでした。技術的には色々と特色がある5000形ですが、どうも京急車に目が行ってしまい碌に記録できなかったのは残念です。