2017年7月8日

EF12と70系と その2

▲両毛線クハ76082 佐野-富田 1977-6

長く渇望していた一眼レフですが、月賦でやっと手にできたのは1977年のことでした。
シンプル極まりない、もちろん全てマニュアル操作の「ニコマートFT2」の格好の練習台は自宅から見える両毛線。70系の引退が囁かれ、EF15の入線が始まった頃でした。
▲佐野-富田 1977-1 
 
まずはこちら、両毛線の「顔」のクハ76。
登下校の道すがら当たり前のように眺めていた彼らですが、今回改めてネガを見直して「もう少しマトモに記録しておくべきだった」と後悔する破目になりました。
▲佐野-富田 1977-5 
 
▲いずれも佐野 1977-4 

▲いずれも岩舟-佐野 1977-5

当線名物のクハ77。
103系顔ながら、車内はサロ時代のクッションが効いた腰高シート、乗るなら断然こちらでした。
▲いずれも佐野-富田 1977-4
 
程なくして入線した望遠レンズにまだ右往左往で、電柱が思い切り写り込んでいます。



基本編成4連に吾妻線用40系2連、クモユニ74を併結した7連。
▲いずれも岩舟-佐野 1978-1

こちらは70系4連のうち、何故か高崎方のクハ76(または77)の代わりにクモハ40が入った珍編成。電柱だらけのオソマツ写真ですが、見たのはこれ一度きりでした。
▲佐野-富田 1977-3

一方の貨物はEF12の独断場でした。
EF10の後継機として誕生した彼らですが、戦時設計に突入する直前に生まれた初期型は東海道線や上越線で優れた性能を発揮しました。
▲いずれも岩舟-佐野 1977-5
 
▲いずれも佐野-富田 1977-8

佐野駅で入換に従事するEF12。
▲佐野 1977-5
 
1977年春のこと、はて面妖なEF12が・・・と思っているとEF15がやってきました。両毛線で同機を眼にしたのはこの時が初めてでした。
▲いずれも佐野-富田 1977-4

70系引退の足音が近づき始めた頃には、既に殆どの貨物はEF15に替わっていました。
▲いずれも岩舟-佐野 1978-1

▲ニコマートFT2 当時のカタログから

EF12と70系と その1 →→ こちら

ついに普通列車にも115系が充当、70系の命脈もカウントダウンに入りました。
▲岩舟-佐野 1978-1

4 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2017年7月9日 20:38

     クモハ40がクハ代用で70系と組んでいるのは初めて見ました。こういう貴重なカットが撮れるのは、地元の強みですね。

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  2. モハメイドペーパーさん

    お恥ずかしいカットですが、基本編成の4連なのに先頭が平妻だったので慌てて撮ったものです。
    しかし、電柱だらけの「失敗作」として長年プリントもせず放置してしまい、今回のデータ化で初めてクモハ40であることに気がつきました(苦笑)。もっと追いかけていればと後悔しています。

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  3. クハ77、意外と台枠が厚いのかモハ70に比べると客室ドアも上部になっていますね。
    父親に連れられ幼少の頃同車に乗り、ガマの口から湯を吐き出す大浴場の宿に泊った記憶ありますがやはり吾妻線でしょうか?

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  4. 12号線さん

    吾妻線は40系2連に混じって70系4連も入っていましたので、ご記憶のとおりかと思います。平凡な両毛線よりも風景の起伏があって楽しい路線ですが、旧型時代は記録できずに終わってしまい悔いが残ります。クハ77は全体的に腰高な感じで、グリーン車時代の狭いドアもそのままでしたからえらく乗りにくかったと記憶しています。

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