▲秩父鉄道デキ7 影森 1975-6
カメラを持ち始めて2年目、すっかり定番の遊び場となった熊谷車両基地。
居並ぶ電機や貨車の隙間を歩き回る緊張感は、まるで「秘密基地」のようでした。この日も特に目的もなく、カメラだけ持って羽生から乗り込みます。
▲いずれも羽生 1975-6
まずはこちら、旧阪和のED383。
昼寝姿は何度となく目にしてきたカマですが、走行シーンはついに拝めないまま終わりました。2号機は当時から休車中で、部品確保用として広瀬川原にいたようですが結局会えず仕舞いでした。
基地を覗くといつも奥に鎮座していて、妙な安心感があったWHデキ1形。この日は1・3号機がいました。
小さい体躯で異彩を放っていましたが、余り走ることはなかったようで短命に終わっています。4番線の片隅から発着するのは相変わらずですが、セイジクリーム化されて魅力半減です。
▲いずれも熊谷 1975-6
さて、この日は初めて秩父方面へ乗車してみることにしました。
先ずは秩父で下車、広い構内の外れにいたのがWHデキ5と101。101は後にC58の補機専属になります。
▲いずれも秩父 1975-6
続いて隣の影森へ。先ほど「今日はいないな」と思っていたデキ7が小運転に入っており、パンタを上げて待機中です。
ここで「電車はどうした!」とツッコミが入りそうですが、当然のようにやってくるデハ100・300・500形たちは余りにも見慣れていたせいか、ロクに記録していませんでした。
電車、特にデハ100形を腰を入れて撮るようになったのは80年代、前照灯や台車が改造され些か不恰好になってからのことでした。
デキ7さよなら運転 →→ こちら
熊谷駅、新幹線の高架がないとこんなにも開放的な空間があったのですね。
返信削除ところでカメ号の後ろに100形いるスナップ、両者の間に車止めが無いようにも見えますが当時はスルーでしたのでしょうか?
12号線さん
返信削除新幹線開通前の熊谷はとにかく広く、色々な車両が屯していてどこから撮ろうか迷うくらいでした。ただ、今改めて見直して見ますと背後に写り込んでいる秩父名物のテキやホキを全く撮っておらず、何度悔やんだか分かりません。
4番線・5番線が同居していたホームですが、確か真ん中あたりに土盛りつきの車止めがありました。写真では見えないですが、丁度キハ2000の陰に隠れていると思います。当時はわざわざフレームに入れないように撮っていますが、今となっては車止を入れた方が記録としては良かったですね。