▲EF5911+EF596 瀬野-八本松 1980-9
後補機専任という地味な任務ながら、存在感のあったEF59。
戦前の傑作・EF53や56が出自という理由もありますが、最も惹かれたのはその洗練された車体にジャンパ線が這い回るアンバランスさでした。
1980年の夏休み、初の九州への道中で散々寄り道しながらセノハチも最優先でルートに組み入れ・・・といっても貧乏早回り旅ですから半日が限度。しかし、降り立った瀬野構内にぞろぞろと屯ろする壮観さには思わず喉がゴクリと鳴りました。
▲いずれも瀬野 1980-9
今にも泣きそうな空模様に暑さも加わって沿線を歩き回る気力も萎えてしまい、駅近くに陣取ることにしました。元EF53+56のコンビが重いモーター音を唸らせながら、ゆっくりと通過して行きます。
身軽になって瀬野へ戻る重連単機。
▲いずれも瀬野-八本松 1980-9
こちらは本務機の主役たちです。
▲いずれも瀬野-八本松 1980-9
EF59の後継機として登場したばかりのEF61-200番台。
しかし機器の按配が悪かったようで製造は中断、EF59はそのお蔭でEF67が登場する1986年まで延命することになりました。
▲いずれも瀬野 1980-9
八本松から飛ばしてきたEF5918+10+1+16の4重連回送。
夕闇が迫ってきて露出も限界、そろそろ引き揚げることにします。
▲いずれも瀬野-八本松 1980-9
さてそれから4年後、展示会用にはるばる浜松までやって来た1号機。
パンタが広島工場お得意のPS22に交換されています。同機は幸運にもスクラップを免れて「碓氷峠鉄道文化むら」で静態保存されました。
▲浜松工場 1984-8
後継機の頓挫で図らずも長生きした彼らですが、EF67の誕生と共に引退。前歴が国鉄の記念碑的なカマだっただけに、もう少し後の時代であったら動態保存されていたかも知れません。
▲瀬野 1980-9