2017年9月6日

蒲原鉄道加茂線 最後の冬

▲蒲原鉄道モハ41 七谷-狭口 1985-1

中学時代から何度か訪れた蒲原鉄道・村松-加茂間、通称「加茂線」に最後の冬がやって来ました。純日本的な山里をコトコトと走る姿はどこから撮っても、どの季節でも絵になりました。

人口希薄地帯を走るにも拘らず廃線の危機を免れたのは、沿線が有数の豪雪地帯であり、並行道路の未整備によるものでした。
▲モハ91+モハ41 大蒲原 1985-1

1985年1月、廃止まであと2カ月と迫ったある朝、大蒲原駅に降り立ちました。
大蒲原は1980年に無人化された後も冬季の保安要員が残り、待合室にストーブの炎が見えてほっとしたのを憶えています。

▲いずれも大蒲原 1985-1

列車の本数は少なく、乗ってしまうと撮れません。
降雪は少ない方ですが、次の高松まで頼りない細道をよろめきながら歩を進めます。
この日は期待したモハ12ではなく、戦後製のモハ31と41でした。
▲いずれも高松 1985-1

高松付近は人家がほとんど見当たらない、人里離れた区間。
当線の廃止と運命を共にした、旧山形交通のモハ91がモハ41を牽いてやってきました。
▲いずれも高松-土倉 1985-1

そのまま隣の土倉まで、更にその先の冬鳥越まで歩きます。
冬鳥越は駅前にスキー場がありますが、森閑として誰の姿もありませんでした。
▲いずれも土倉-冬鳥越 1985-1

更に七谷まで歩きます。同業者とすれ違うこともありませんでした。
▲七谷-狭口 1985-1

七谷からようやく電車に乗り込みます。
一日中無人地帯を雪中行軍してきただけに、乗った途端にヘタリ込んでしまいました。

最後は加茂市の街外れにあった東加茂、和洋折衷の風格ある駅舎が建つ有人駅です。待合室のストーブに手をかざしたり食料にありついているうちに、漸く生気を取り戻してきました。
▲東加茂 1985-1

最終ショットはやはりこちら、加茂駅。長い冬の1日が終わりました。
▲いずれも加茂 1985-1

加茂線は雪融けを待たずに、3月末に最期の日を迎えました。
並行する国道290号を走り始めた同社の代替バスも既に廃止された由、原風景のような沿線は今どうなっているでしょうか。

1975年夏の訪問  →→ こちら
1984年晩秋の訪問 →→ こちら

▲大蒲原-高松 1985-1

2 件のコメント:

  1. 北日本の冬の光景は詩情を醸し出してくれますね。まさしく演歌に似合うシチュレーションですね。
    今、新潟交通のかぼちゃ電車を作っていますが、田舎電車大好き人間にはこの蒲原鉄道の車両も作ってみたくなりました。(^_^)/~

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  2. 夢鉄道さん

    加茂線は昔話の絵本に出てきそうな「山里」という表現がピッタリの沿線風景でしたね。
    現在なら1年中通い詰めるところですが、85年と早い時期になくなってしまったのは残念です。
    新潟交通は蒲原とセットで訪ねることが多く、よく対比もされますが「田舎度」では蒲原に軍配(?)が上がりますね。両線とも何度か訪問しましたので、機を見てまた別のカットをアップしたいと思います。

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