▲155系急行「おくいず」 東京 1974-5
憧れだった20系客車に会えたのは73年秋、家のカメラを持ち出し初めて東京駅を訪れたときのこと。20系と共に初見参の157系「あまぎ」や153系などに右往左往している中、おやっと思ったのが「ひので」塗装のデンシャでした。
既に修学旅行輸送の主役は新幹線に変わり、出番の殆どは臨時列車になっていました。東京駅で良く見かけたのは臨時急行「おくいず」に運用された155系や167系でした。
▲東京 1975-3
東北線で見掛けた155系団体列車。
修学旅行列車は75.3のダイヤ改正で殆どが廃止、時刻表から「修学旅行」の文字が消えます。その後も波動輸送用として残るもベース車(153・165系)と同色になり、インパクトはなくなりました。
こちらは東北線の急行に組み入れられたキハ58-800番代。
※Wikipediaから抜粋
「車体塗色は、子どもたちに明るい印象を与えようとしてライトスカーレット(朱色3号)とレモンイエロー(黄1号。後3号へ変更)の2色塗装が採用された。いわゆる『修学旅行色』で、塗り分け方も153系とは異なり113系と同様に前面下部の塗り分け線を斜めにして貫通扉や前照灯にかからないようになっている」
ところで、これを見て思わず「新潟色」を連想してしまうのは、自分だけでしょうか・・・
富士の右に写る横須賀線、113系の冷房準備車が大船区にいたのは初見です。
返信削除JR化後も幕張区には非冷房のまま残る同系列がいて、101系の廃車発生品を利用したのか青森まで運ばれてようやく本来の形になったのもいました。
ところで気動車の修学旅行色、川俣線最終日の運行にも使われたようですね。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/9634/kawamata1.html
12号線さん
返信削除当時は東京地下駅が開業して間もない頃で、横須賀線も地下に移る過渡期だったせいか113系の動きも激しかったですね。大目玉の0番台が見られなくなった後は「つまらなくなった」と思いましたが、こちらもちゃんと記録しておけば良かったです。
キハ58のご指摘ありがとうございます。川俣線の最終運転に800台が動いたというのは初めて知りました。カラー画像が新鮮ですね。
初期の修学旅行色は、京急の赤と黄色に近い感じでした。キハ58の800番代は急行「出羽」に時々組み込まれていたのを覚えています。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除頂いたコメントで思い出しましたが、上野で撮った画像は確か「出羽」です(早朝にこれだけの長編成は他になかったと思います)。今考えると、客レと違ってキハで一昼夜過ごすのはきつかったでしょうね。
「京急旧塗装」は写真でしか見たことがありませんが、更新前の230形にはこの色がぴったり似合っていた気がします。