2017年11月28日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その11

▲EF6418 八王子 1976-7

西武の離れ小島・多摩川線。
その出自は多摩川の砂利輸送のため、明治時代に敷設された多摩鉄道でした。

1976年夏、立川・八王子方面の多彩なデンシャ群を見に行った道すがらのことでしたが、当時はこれが西武線だったことすら知らず、小型時刻表の路線図では判明もしないまま、この盲腸線何だろうなどと考えあぐねていた始末でした。
▲いずれも武蔵境 1976-7
 
こちらは少し時代が下った頃。
電車は451系ですが、広いホームを始め駅の佇まいは変わらぬままです。
▲1980-5 武蔵境
 
こちらはその時の主目的です。
メインは重連で運用される八王子機関区のED61。既に中央線貨物の主役はEF64に移る一方、ED62への改造も始まっており、先行きが見えていました。他にも青梅線の72系や南武線のデンシャたちと初見参が満載でした。
▲いずれも八王子 1976-7
 
▲いずれも立川 1976-7
 
▲西国立 1976-7
 
▲いずれも立川機関区 1976-7
 
営団5000系の中でも異色のアルミ車を見かけて、慌てて車窓から構えたのがこちら。400両超の一大勢力だった5000系にあって21両という少数派だったせいか、その後再会することはありませんでした。
▲高円寺 1976-7
 
5000系とペアを組んで相互乗入れを担った301系。
こちらも50両の少所帯でしたが、国鉄初の地下鉄対応・アルミ合金製車体といった点で画期的な車両でした。
▲吉祥寺 1976-7

アルミ地色で異彩を放っていた301系でしたが、1978年からグレー基調に塗装されインパクトが薄れます。
▲三鷹 1980-4
 
初めて尽くしだった西東京方面行でした。
▲301系と似て非なる103系1200番代 三鷹 1976-7
 
▲立川機関区はED16・EF10の牙城でした 1976-7

2017年11月22日

EF12と70系と その3

▲両毛線クハ76ほか 佐野-富田 1974-10
 
「ヨンサントオ」のダイヤ改正に先立つ1968年9月、両毛線が電化。
C58や10系気動車の天下だったこの線にやって来たのは、スカ線で鳴らした70系や戦前型貨物機の集大成・EF12でした。

あまりにも馴染み過ぎていたせいもありますが、間近なものをマメに写すという基本がなっていない管理人、改めて見直すと碌な記録が残っていません。本日はそんな中から、家から10分圏内で撮り回った超お手軽スナップをお送りします。
▲いずれも佐野-富田 1975-6
 
こちらは渡良瀬川の支流・秋山川橋梁にて。
自転車を少し飛ばすと、こんな風景が広がっていました。川辺でザリガニだの鮒だのを捕まえる手を時折止めて、やって来るデンシャを待ち受けました。
▲いずれも佐野-富田 1974-10

鉄橋から少し高崎寄りに移動すると、一面の田圃が広がっていました。
制御車不足解消のため、サロ85をクハに仕立てた当線名物・クハ77は総勢6両。高崎方・小山方半々くらいに連結されていたと記憶します。
快速運用の115系はまだ大目玉の非冷房です。
▲いずれも佐野-富田 1974-10

1日1往復、閑散時間帯の区間列車には40系2連も走っていました。
▲佐野-富田 1977-4

佐野駅高崎方からのスナップ。
貨物ホームには荷が溢れんばかりに積まれた貨車が停まっています。
▲いずれも佐野 1975-6
 
両毛線と東武佐野線の間には3本の中線があり、もちろんレールも繋がっていました。いつ行ってもEF12の入換風景を見ることができましたが、工作が優れた初期形は現場の評判も良かったようで、1・3・5号機には良く出会いました。
▲佐野 1973-6

▲いずれも佐野 1977-5

70系とEF12、電化と共に当線の主役に躍り出た彼らでしたが、その活躍は10年足らずでした。
▲いずれも佐野-富田 1974-10

2017年11月17日

上田交通 昇圧の頃 その3

▲上田交通 中塩田 1986-9

「下之郷の大カーブ」は、広大な田園風景をコトコト走る姿に惹かれていつも陣取る場所でした。
下之郷駅を発車した電車はぐいっとカーブすると、いきなり田圃のど真ん中に放り出された感じで中塩田を目指します。
▲いずれも下之郷-中塩田 1984-7

こちらは終日2連運用になった頃。
丸窓+平面ガエルことクハ290形、モハ5370形+クハ252という組み合わせによく遭遇しました。
▲いずれも下之郷-中塩田 1986-2 

鯉のぼりを眺めながら、下之郷付近を行くモハ5370形。
田圃にもそろそろ水が張られる頃になりました。
▲いずれも下之郷-中塩田 1985-4

下之郷と共に、こちらも何度も訪れた中塩田。
別所温泉とともに洋風建築の駅舎が残り、現在もリニューアルされて健在です。
▲いずれも中塩田 1986-9

昇圧前最後の訪問となったのは1986年秋、この日は別所温泉からスタートです。あちこちを徘徊しながら名残を惜しむことにしました。
▲いずれも八木沢-別所温泉 1986-9

▲寺下-神畑 1986-9

▲中野-舞田 1986-9

▲八木沢 1986-9

上田原の凄まじい電車区は、昇圧と共に下之郷へ移転。
東急からやって来たばかりの5000・5200形が出番を待ち構えています。クハ5251は図らずも丸窓と同じ番号を名乗ることになりました。
▲いずれも下之郷 1986-9

最後はもう一度、別所温泉へ。クハ252+モハ5371が視界から消えるまで見送り、眼瞼に焼き付けました。
▲別所温泉 1986-9