C58や10系気動車の天下だったこの線にやって来たのは、スカ線で鳴らした70系や戦前型貨物機の集大成・EF12でした。
あまりにも馴染み過ぎていたせいもありますが、間近なものをマメに写すという基本がなっていない管理人、改めて見直すと碌な記録が残っていません。本日はそんな中から、家から10分圏内で撮り回った超お手軽スナップをお送りします。
こちらは渡良瀬川の支流・秋山川橋梁にて。
自転車を少し飛ばすと、こんな風景が広がっていました。川辺でザリガニだの鮒だのを捕まえる手を時折止めて、やって来るデンシャを待ち受けました。
鉄橋から少し高崎寄りに移動すると、一面の田圃が広がっていました。
制御車不足解消のため、サロ85をクハに仕立てた当線名物・クハ77は総勢6両。高崎方・小山方半々くらいに連結されていたと記憶します。
1日1往復、閑散時間帯の区間列車には40系2連も走っていました。
佐野駅高崎方からのスナップ。
貨物ホームには荷が溢れんばかりに積まれた貨車が停まっています。
両毛線と東武佐野線の間には3本の中線があり、もちろんレールも繋がっていました。いつ行ってもEF12の入換風景を見ることができましたが、工作が優れた初期形は現場の評判も良かったようで、1・3・5号機には良く出会いました。
▲いずれも佐野 1977-5
70系とEF12、電化と共に当線の主役に躍り出た彼らでしたが、その活躍は10年足らずでした。
40系は吾妻線電化用に首都圏各地からかき集めた一群でしょうか。
返信削除同線での習熟運転期間と思われる光景が、ドリフターズ映画にも登場しています。
12号線さん
返信削除40系の主戦場は吾妻線でしたが、同じ高シマの領域だった両毛線でもよく見られました。
写真の2連は朝の間合い運用で1往復だけでしたが、70系4連+40系2連が多く設定され新前橋や高崎で切り離したりと運用が結構複雑だったと記憶しています。