2018年1月12日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その12

▲鶴見線クモハ73 扇町 1975-7

1975年夏休みの一日、例によって薄明から東京・上野両駅の往復を開始。
次々に上って来る優等列車群に少し飽きてくると、これまた恒例の私鉄駅巡りへ向かいますが、まずは東急大井町へ。

8500系の登場以来、田園都市線も本線系統からの7000・8000系らが増え、74年の前回に比べて顔触れが変わってきました。まだ3000系列が残っていた筈ですが、結局この時は会えず仕舞い、しかしやって来る電車の多彩さは変わらずです。
▲いずれも大井町 1975-7

続いては蒲田へ。ノッペリ車体への更新がほぼ終わる頃のデハ3500形でしたが、未更新車も辛うじて残っていました。
▲いずれも蒲田 1975-7

この時の主目的はこちら、鶴見線と南武支線への初乗車。もちろん旧型オンリーで、貨物にはEF13も活躍していました。
▲いずれも扇町 1975-7
 
▲いずれも武蔵白石 1975-7
 
▲いずれも尻手 1975-7

これを撮ったのは寝台車初乗車となった忘れられない日・・・といっても10系のB寝台ですが、中学生の好奇心には十二分でした。気怠い車内を妄想しながら、次第に脈動が速くなって行くのが分かりました。

寝台列車で蒲原鉄道へ →→ その1 / その2

▲武蔵白石 1975-7

2 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2018年1月12日 20:12

     田園都市線の行き先が懐かしいです。通勤電車もまだまだ非冷房車が幅を効かせていた時代ですね

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  2. モハメイドペーパーさん

    大井町線になる前の田園都市線は色々なデンシャがやって来て楽しい路線でした。
    真夏の5000系などさぞかし暑かったと思うのですが、大して記憶に残っていないのは現在のように贅沢でなかったからでしょうか。それにしても75年の頃は国鉄も私鉄も撮りたいものだらけでしたね。

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