先日、近江鉄道のHPに「保管中の機関車を順次解体・・・」との記事が。
無念というより、10両もの電機を野晒しで保管していた訳ですから仕方ないかという印象、しかしどうやら1両も残さない方針のようで、こちらは少々ショックでした。
・・・という訳で、本日は彼らに因んで彦根駅スナップからです。
▲ED142 彦根 1984-7
まずはこちら、東海道や中央線で鳴らしたGEのED14です。多賀までのセメント鉱石輸送がまだ細々と残っていましたが、4両とも手持ち無沙汰そうでした。
Rを描いた細身のボンネットや極端に狭い運転窓と、他に例を見ない異様な風体はどこか装甲車を彷彿させます。
ナンバーを外された5号機が片隅に放置されていました。てっきり廃車かと思いきや、この後復活して1990年まで延命します。
こちらは入換えに従事していたEE製・旧東武のED4001。
1988年の定期貨物全廃後も、工事や入換用に細々と生き残った彼らですが、ついに命脈尽きる時がやって来ました。せめてED14の1両だけでも手厚く保存されないものか、と夢想するのは管理人だけはないでしょう。
▲ED14引退時には記念切符も発売されました
▲こちらは等級制時代の切符。当線は現在も硬券天国です
国鉄の頃(あるいはJRになってからか)、ED14を譲ってくれという話を断っています。遊休状態だったのだからそこそこの値段で手を打っていれば、今頃、どこかの博物館で保存されているはずなのですが。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除国鉄(JR)から引き合いがあったのですか!
鉄博入りしてもおかしくないカマだけに何とも勿体ない話ですね。
自重の関係で近江八幡方面へ入線できず、多賀のセメント輸送がメインだった訳ですから4両も要らなかった筈なのですが・・・何故断ったのか不思議ですね。
搬出費用を負担してくれるなら只であげます、と言う事で、既に幾つか引き合いがあるみたいですが、このような結末になることが何となく見えていただけに、もうちょっと早く何とか手を打てなかったかな、とは思います。状況を素早く察知して真っ先にED4001を引き上げた東武博物館のH館長は流石ですが。
返信削除改めて当時の写真を拝見すると、模型を作る立場から色々興味深い点がありますね。末期はデッキの手摺が白く塗られていましたが、この写真だとED14の1,2は車体色と同色のまま、3,4は白になっているように見受けられるので、1984年頃を境に白が追加されたことが判ります。あとED141もこの頃は冬季以外はスノープロウが外されていたんですね。
ED31の5号機は確か1978年のレールガイ誌(また懐かしい)の連載中に既に休車中との記述があったので、退役後40年はあの場所で過ごしたことになりますね。
雪うさぎさん
返信削除最近も引き合いがあったんですね。
せめてED141だけでも無事に保管されるといいのですが。
運送費自前なら無償にて、という譲渡法は良く見かけますが、ここまでくたびれた状態だと整備して保管する側もちょっと引いてしまいますね。
どうも近江鉄道は用済みとなった車両を持ち続ける(放置する?)のが好きなようで、旧武蔵野や京急車、更には解体委託業で入手したクモニ13など、怪しい車両がぞろぞろと屯していましたね。自前で新製・改造をやってのける歴史があったので、使えそうなモノは何でも残す、というスタンスだったのでしょうか。
ED14の手摺りについては気がつきませんでした。
他にも細かい箇所が変っているかも知れないですね。当線はこの2年前にも訪問していますが、こちらの記録も機を見てアップしたいと思います。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
返信削除合理化目的で導入したLEカーも1輌彦根で残していたのですが、これも既に解体済みだとか。
厳しい経営状況の近江鉄道ですが、魅力ある路線を今後に残していただきたいものです。
12号線さん
返信削除おめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。
LEカー、せっかく貴生川方面へ導入したはいいもののラッシュ対応ができずに10年で退場してしまいましたね。私も彦根の隅で鎮座するのを見ただけでしたが、電機ともどもこんな大所帯をよく保管してきたと思います。八日市以遠は厳しいようですが、頑張って欲しいですね。