2018年3月21日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その14

▲京成電鉄モハ702 日暮里 1974-1

波状的にしつこく続けている安直シリーズ、前回に続いて京成電車です。
日暮里駅周辺は長い間、再開発から取り残されたような感ありですが、戦前の構造物が雑然と残っていて趣味的には魅力でした。

当時の日暮里のシンボルは戦前から続くRを描いたこの鉄柱ですが、竣工時は随分とお洒落な造形だったのではないでしょうか。
常磐線ホームは東北線・高崎線を行き交うデンシャも手軽に見物でき、カメラを持ち始めの頃からの馴染みの場所。20系の引退時や夜行急行のお名残撮影など、節目には必ず陣取っていました。
▲いずれも日暮里 1974-1

初めて間近で見た青電は200形。
200形は京成初の高速電車で、1978年に新京成へ移籍してからも90年の引退まで活躍しました。
▲日暮里 1974-8

どこか撮れそうな駅はないか・・・と日暮里から少し乗ってみましたが、皆目見当がつかず適当に降りて妥協です。
▲いずれも新三河島 1977-5 

こちらは赤電のオレンジ一色化が始まった頃の京成上野。
こうして見ると、全体の雰囲気が現在と同じような気がしますが、40年近くこれだけ変転がない私鉄ターミナルも珍しいのではと思います。しかし、2019年春に向けてニューアル工事が始まった由、この独特の空気感も変ってくるのでしょうか。

スカイライナーは初代AE車が発着していました。
 
隣のこちらの駅もまだ営業中です。
▲いずれも京成上野 1980-4

この当時既に休廃止の噂があった博物館動物園でしたが、実際は1997年休止・2004年廃止と随分後になってからのことです。
▲博物館動物園 1980-4
 
暗いホームに古色蒼然とした案内看板、閉鎖された窓口とエアポケットのようだった構内は残念ながら1枚も撮らず・・・なのでこちらはWikipediaから拝借です。
▲博物館動物園(Wikiから転載)

1 件のコメント:

  1. 初めまして。
    別の古の画像等を検索した際、偶然京成電車の懐かしい車両に遭遇したのでコメントさせていただきました。
    ところで、6枚目の画像のキャプションが「新三河島」とありますが、この駅には未だかつて優等列車が停車した記憶はありません。わずかに写っている「上野方面」とだけ記載がある案内表示から、写真は日暮里駅で撮影されたものかと思われます。押上線と分かれる青砥駅以西の駅では「日暮里・上野方面」と記載があるはずで、当時の急行停車駅であった堀切菖蒲園、千住大橋、町屋の各駅は高架駅だったので電車横の景色が異なります。ご確認を。

    小生、生まれ育ちが京成沿線で、「見える電車はすべて京成」という環境で育ちました。
    1970年代の後半は、親が持っていたハーフサイズのカメラで電車の写真を撮りまくっていました。
    当時の「急行」は、現在の「快速」の停車駅のほか、町屋、堀切菖蒲園、京成曳舟、京成立石、国府台、市川真間、谷津遊園(当時・現在は「谷津」)にも停車していました。
    通っていた某高校は、「自宅の最寄駅から京成に乗れる定期が欲しい。」という極めて不純?な動機で選択しましたが。結局、京成電鉄に入社することはありませんでした。
    覚えている限りでは、小生が知る当時の青電はほぼ全金属車体に更新されていましたが、荷物電車(嵩高荷物専用車)で使用されていた国鉄63系の戦災復旧車は、その違和感ゆえ、微かに記憶にあります。勿論、乗れませんでしたが…。

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